*あなたがあなたらしくあるために、《ボイスアート》で「自分軸」を育てよう*
*あなたの心とからだの健康を全力で応援します*
*人間関係、トラウマ、セクシャルマイノリティ、性格、キャリア...など*
奈良県大和郡山市(JR郡山駅すぐ)
  1. こころ。ほっと。かふぇ。
 

こころ。ほっと。かふぇ。


 

 

わたしの日々のこと気になったことなど気ままにおしゃべり感覚で綴るページです。







2017/02/20



何も知らない人が

 

一番いい

 

知っても忘れてしまった人が

 

一番いい

 

禅の話もいらぬ

 

念仏の話もいらぬ

 

ただお茶を飲みながら

 

鳥の声を聞いたり

 

行く雲を仰いだり

 

花の話などして帰ってゆく人が

 

一番いい

 

別れたあとがさわやかで

 

過ぎた時間が少しも惜しくない人が

 

一番いい

            (「一番いい人」 坂村真民)

 

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朗読の勉強を続けて、ずいぶんになります。

 

教材でいただくものの中に、

 

ときおり、とても素敵な言葉や文章に出逢うことがあります。

 

 

「過ぎた時間が少しも惜しくない人」

 

今日はこんな言葉に出逢って、なんかいいなぁ…って思いました。

 

知っても忘れてしまって、ただお茶を飲みながら、ただともに時間を過ごし、

 

別れたあとがさわやか。

 

あぁ、こんな生き方、素敵だなぁ...



ま、あと味にいろいろな味わいがあるのも、

 

また人生の醍醐味かもしれませんが。

 

でも、一番最期は「別れたあとがさわやか」

 

そんな風に終わりたい。

 

そう思ったことでした。











 

 


2017/02/06



今朝、なにげにネットを見ていたら、こんなツィート記事に出会いました。

 

【日本からあいさつが消えるかも!?とあるマンションの住人からの投稿が話題に・・・!!】


この記事の発端は、どうも昨年11月に神戸新聞に投稿された読者記事が、

きっかけのようです。

 

○「知らない人にあいさつされたら逃げるように教えているので、マンション内では

     あいさつをしないように決めてください」 (若いママ住人)

 

○「あいさつをしてもあいさつが返ってこないので気分が悪かった。お互いにやめましょう」(年配住人)

  

 で、どうもこのマンションでは、「理事会」でお互いの「意見が一致」したので、

「マンション内では挨拶をしない」という告知を出す、ということになったらしい。

 

う〜ん、なんとも言いがたし!

どこのマンションか知りませんが、もしこんな告知が掲示板に出ているマンションなら、

わたしなら、そこに住むことをためらうでしょう。

 

ここに住むと、隣でなにが起きても「我、関せず」な環境ですよ、

と教えてくれてるような所に思えるからです。

 

若いママが心配していることもわかります。

この昨今ですから。

幼い子どもがいろんな事件に巻き込まれ、命を落としていますから。

 

しかし

「知らない人に挨拶されたら逃げる」

果たして、この教えは子どもの命や安全をまもるために、本当に有効な手立てなのでしょうか?

ちょっと、短絡的すぎます。

実際、自分が知っている人の数より、世の中、知らない人の数のほうがずっと多いのです。

 

また

年配の方が主張される「意見」の背後にある気持ちは、わからなくもない…

ですが…

 

「あいさつをしても返ってこなくて、気分が悪かったから、マンション内での挨拶はやめる」

これまた、少し感情的に走りすぎていらっしゃるような気がしてなりません。

 

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わたしたち自身が、安心して、気持ちよく暮らしていくために、なにができるのでしょうか?

 

わたしが長年関わってきたCAP(Child Assault Prevention 子ども暴力防止)という

「暴力防止」がテーマの教育プログラムでも、

子どもが(あるいは、結局は大人にとっても)自分の命や安全を守るために、教えていることがあります。

 

  ・「知らない人」には、自分の名前、家がどこか、家族のことなど、言わない。

 

  ・「知らない人」の多くは、いい人だけれども、

   それでも自分が、このひとヘンだな、怖いなと感じたら、

   「知らない人」とは一定の物理的に距離をとる。

   みだりに近づかないことで、逃げようと思えば、すぐに逃げられるから。

 

  ・ある一定の距離をとっていても、挨拶はできる。

   (挨拶もしてはいけない…と伝えているわけではないのです)

   しかし、もし仮にやっぱり、知らない人だし、このひとヘンだな、怖いなと感じたら、

   無理やり挨拶をしなくてもいい。

 

と、伝えています。

 

このようにお話すると、CAPの大人向けセミナーでは、ときおり

「そんなことをしていたら、挨拶もできない、しつけのなっていない子どもに、なりませんか。

挨拶されても返さない子ども、って失礼な子どもですよね」

 

と意見をいただくことがあります。

わたしたちはそのとき、こんな風にお伝えします。

 

「大人でも、初対面の知らない人にいきなり近距離に寄ってこられたら、

ちょっとヘンだな、とか怖いな、とか感じませんか?

 

身体の小さな子どもたちが、いきなり自分たちより大きな大人に近づかれると、

大人が思うより以上に、近づかれたように感じ、威圧感を感じ、不安になります。」

 

人間関係を作っていくために、挨拶は大切です。

しかし、安心・安全のないところに、人間関係は作られません。

大人でも「この人は自分にとって、安心だ、安全だ」と感じられ、思えてはじめて、

近づいていくことができるはずです。

 

地域の大人が、子どもたちを地域で守る、という目線に立っていただくなら、

まずは、挨拶をしない子ども=失礼な子ども、ということではなくて、

子ども自身(相手)が安心だと思える関係作り、環境作りから、と思うのです。

 

たとえ、最初は子どもは挨拶を返してくれなくても、

いつも出逢う、おじいちゃん、おばあちゃん、おじちゃん、おばちゃんが、

にこやかに挨拶をしてくれる。

 

無理に近づいてくるわけではないけれど、(大人が)挨拶はちゃんとしてくれる。

 

子どもにとって、最初は「(その大人は)知らないひと」かもしれないけれど、

どうも「挨拶」くらいはしてもいいかな、あの人は、怖いひとではないらしい。

 

そんなところから、

少しずつ、ご近所さんとの繋がりができてくると思うのです。

 

子どもから挨拶が返ってこなくても(無視されたら、悲しいし、ムッともするでしょうが…)、

「そんなことなら、挨拶は不要だ!近ごろは挨拶もできない子どもばかり!親のしつけは一体どうなっている!」

と、キレないでいただきたい…

 

結局は、挨拶もしない住環境を作ることは、

そのこと自体が、そこに住む自分自身に返ってくるのだと思います。

高齢になって、部屋で倒れていても長期間、誰からも気づかれない…孤独死している。

そんなことにも、なりかねません。

 

===================================

 

一方で、【自分の命や安全を守る】という意味では、

ヘンだな、怖いな、と感じる感性が大事です。

 

知らない人には、自分のことは話さなくていい、物理的な、距離をとっておこうね、

なによりも、子どもが「知らないひと」に出逢って、ヘンだな、怖いな、と感じたら、

愛想よくしなくていいし、話さなくていいし、その場からすぐに逃げるんだよ、

と教えることは、有効だと思います。

 

子どもに「知らないひとに挨拶されたら、逃げる」という短絡的な教えでは、

子どもの命や安全をまもるために、有効ではないと思います。

 

親はずっと子どもの後をついていくことはできません。

ひとが自分で自分を守るために欠かせないのが、

自分自身の感性(ヘンだ、怖い、これは嫌だ)なのです。

これは、子どもだけではなくて、大人にとっても同様です。

 

そして、自分たちの住む環境の安心・安全作りをめざすなら、

まずは大人から、親からご近所さんと「挨拶から繋がる」って、いうのが大切だと思うのです。

(大人の場合は、そこがどうしても安心・安全じゃない、と思えば、引越しもできます)

 

ネット社会である昨今、便利なことも増えましたが、

リアルなレベルでの、豊かで安心して生きるための人間関係作りが、

本当に問われている世の中だと、思います。








2017/01/30

                     旧暦新年2日目(1/29)の朝 



昨日は、今年2017年初の【ボイスアートグループレッスン@なら】でした。

 

遠くから来てくださった方、ボイスアートは初体験の方、継続で受けてくださっている方など、

みなさんで基本の呼吸法(おじぎ呼吸法、ため息呼吸法、ハー声呼吸法)を行ったり、

声を使ったワーク(笑いのワーク、釣り糸とばし、あわうた)を行ったりで、賑やかに行いました。

 

遠くから参加していただいたみなさま、回を重ねて参加してくださっているみなさま、

今回も濃くも豊かに、ご一緒していただき、ありがとうございました。

 

わたし自身もあらためて学ぶところも多く、

豊かなギフトをたくさんいただいたように思います。

 

みなさんと一緒に、ワークを進めながら、

呼吸を通して「自分自身(自分軸)に還る」ということが

どういうことなのか、再確認した時間でした。

 

「ボイスアート」と言うので、「声(ボイス)」のレッスンかとイメージされる方は多いのですが、

声の大元は息である、この視点も重ねてお伝えしておきたいことでした。

 

呼吸することは、自分以外のほかのだれもできない。

その呼吸を通して、自分が生かされて今ここにいる、ということ。

この事実は、どんな人であっても紛れもなく等しくそうなのだ、ということ。

 

自分の呼吸(「息の道」)を聴き、いい意味で「からっぽ」になって、

自分自身の「息の道」を通るところから始めてこそ、

一人ひとりのこの世で生きている意味や、

この世で自分に与えられた「課題」に取り組むことができる、ということ。

 

わたし自身も、ボイスアートを実践しながら、日々それらのことに取り組んでいます。



 ♡ 参加者さんの感想 ♡

 

・はじめて参加させていただきました。

 「ボイスアートってなんだろう?」と、以前から気になっていました。

 今日はご一緒できて、自分の呼吸や息に意識を集中してみる体験ができました。

 

・過緊張や不安感に悩まされ、疲れきっていますが、元気になれそうです。

 

・声をよくするレッスンかと思っていたら、「息」=「自」+「心」の通り、

 ひとに伝えるための声ではなく、自分に向ける声(息)の音を聴きました。

 リラックスしたのか、眠気が心地よいです。

 

・自分の中の不安、恐怖に気づけてよかったです。

 帰宅してから、もう一度レッスンをして、ちゃんと受け止めようと思います。

 

・いいリラックス効果がでました。ホッとしました。

 また機会があれば、参加したいと思います。

 

・「人にあわさない」それでいて「人と一緒にいても気持ちいい時間」を持てました。

 

・よい運動になりました。結構、息をするとお腹が減るものですね。

 

・前回のため息呼吸では「今までため息をついてはいけない」と思っていた自分がいて、

 「あの時もこの時も、ため息をつきたかった」と気づきました。

 今回は「ため息を今つく自分も(ついてこなかった自分も)《わたし》だ」と思い、

 気持ちがスッキリしました。

 

・最近《あわうた》を知る機会があって調べていたので、

 今日(あわうたに乗せて)声に出せてよかったです。(そのタイミングに驚いています。)

 

・視界がすっきりした。丁寧な進め方がよかったと思いました。

 

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次回以降(2月、3月)の【ボイスアートグループレッスン@なら】は...

 

 

■日時 第48回 2017年 2月 26日(日)13:30〜15:30

      第49回 2017年 3月 26日(日)13:30〜15:30

    

■場所   奈良県文化会館・和室「かすが」(2月26日)、ギャラリーと学びの町屋「月眠」(3月26日)

 

■受講料 2500円(1回)  ※初級コース(6回)への振替できます

 

 

です。みなさまのご参加をお待ちしております。












 





2017/01/19





本日はボイスアートのグループセッションに参加していて、

 

次のような話になりました。



自分が「からっぽ」の状態で、喜びにあるとき、

 

たとえ他人のことであっても、本当に心から喜ぶことができます。

 

それは言い換えると、

 

他人の喜びを、自分の喜びのように喜ぶことができる、ということです。



そうでないときは、

 

「おめでとう」という言葉を口にしていても、心の底では、

 

他人の喜びを、どこか羨んでみたり、心底喜べない...そんなことになります。



つまり、自分の心のどこかに「からっぽ」になりきれないなにか、

 

例えば執着であったり、比較であったり、欲であったり、そんな何かがあるとき。



「からっぽ」の世界とは、

 

つまり、自分よりほかの他者や外界に囚われない「静寂」の世界。

 

自分の心のうちにあるものです。

 

満たされ、静かで、喜びに満ちた世界なのです。



その世界にいて、また他者の喜びを我がことと同じに喜ぶ...

 

それはまるで、お祝いや祝福をしているようだね、という話になったのです。



そして、祝い合う...そんな風にいるひとのことを、

 

「いわいびと」と呼んでは?という話になったのでした。



「いわいびと」というと、《斎人》《忌人》と漢字をあてて、

 

神職を司る人のこと、と出てきます。

 

他者の喜びを我がことと同じに喜び、祝い合っている、

 

そのことは、神職を司る人があげる祝詞(のりと)のようでもあります。



そのような「いわう」言葉の持つエネルギーは、

 

世界を静かで、喜びに満ちたものに包んでくれそうです。



いわいびと...本来の意味とは違うかもしれませんが、

 

なんだかステキな響きの言葉だな、と思ったことでした。







 

 


2017/01/08

← 苦しい時の神頼み!?(笑)



みなさんは、今年お正月に、お参りをされましたか?

 

「今年は○○でありますように」と

きっといろんなお祈りをされたことと思います。



近年、これもわたしが出会ったひとつの学びに、

「気学」というものがあります。

 

先日、その講座でお話を伺っていたときに、

なるほどなぁ、と合点したことがありました。

 

 ある起こった出来事そのものは、

 良いこと、悪いこと、という捉え方はしないんです。

 

 一見「よくないこと」「上手くいかないこと」が起こっているように見えても、

 それだからこそ「上手くいっている」んです。

 

現状が「上手くいってない」ことこそ、「上手くいっている」

逆転の発想のようですが、

この、視点の転換って結構、大事な気がします。

 

上手くいかないからこそ、四苦八苦してでも、工夫する。

 

上手く万々歳で調子よく行っているときは、

案外、ひとは物事をそのままスルーで、

見ていないこと、見えていないこともたくさん、あるものです。

 

エジソンの名言に

 

 私は失敗したことがない。

  ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。

 

というものがあるようです。

 

上手くいかないからこそ、

得られるもの、学べることがたくさんあります。

 

上手くいってないなぁ、と思うときこそ、

自分の人生の「のびしろ」があるときかもしれません。

 

そうそう。

「気学」の学びの中で、もう1つ知ってよかったなぁ、と思うのは、

わたしを「応援してくれる」エネルギーに意識を開く、ということ。

 

エネルギー、って目に見えないものだから、

そんなの胡散臭い、と思われるかもしれませんが、

そもそも人も「気」を宿しています。

その状態を「元気」とか「病気」とか...そんな風に表しますよね。

 

いろんなところに、モノに、人に、

エネルギーはいろんな形で宿っているのです。

 

まず、自分の「気」を整えることはもちろん大切で、同時に

「わたしを応援してくれるエネルギー」ってどれだろう?と開いている意識が、

自分の「のびしろ」を更に伸ばしてくれて、「なりたい自分」への背中を押してくれるように思います。

 

ひとは生きていれば、いろんな人に出会い、いろんな出来事と遭遇するでしょう。

思ってもみなかったことや、思い通りにならないこともある。

 

自分がどんな「視点」で、あるいは「意識」で、物事や人と接するかで、

その後の自分の歩む人生の道や質、流れが大きく変わってくると思うのです。

 

「過去と他人は変えられない」けれど、

自分の「視点」や「意識」は変えていくことができます。

 

わたし自身がハッピーで、喜びと元気に満ちて生きていけるような、

「幸せメガネ」をもって、この世界を眺めて生きたいです。

























2017/01/05

 

 

昨年「電話相談研修」を受けたときに、講師の先生が

「最大の’励まし’は、’十分に聴くこと’」と言われました。

 

わたしは長年、CAP(Child Assault Prevention 子ども暴力防止活動)に関わってきましたが、

その活動の中でも「相談する」ことの大切さを伝えています。

 

ひとが問題を抱えて、悩み、苦しみ、辛さでいっぱい一杯のとき、

まずはただただ、そのあなたの気持ちを聴いてくれるひとに出会えるか、出会えないか、

という分岐点はとても大きいこと。

 

ただ自分の話を「聴いてくれる」ひとに出会えた、

そのことで、その後の人生が大きく変わることもあるのです!

 

そしてもしかしたら、’十分に聴く’というのは、

ただ苦しんでいる人のそばに、そっと佇み、居るということ、かもしれません...



’十分に聴く’...

たかが「聴く」だけのことじゃないか、と思われる方もいるかもしれませんが、

されど「聴く」なのです。

 

  親子、夫婦、恋人...など、とても心理的な距離が近い関係性の場合、逆に「ただ聴く」がとても難しい場合もあります。

 「わたしには《聴きあえる(あるいは、そうあろうと心がけている)》人間関係が身近にある」と言えるひとは、とても素晴らしいことです!

 

冒頭の講師の言葉にあるように’十分に聴くこと’

この’十分に’...というところがミソでして(笑)

 

カウンセラーたるもの、この「聴く」を仕事にしていますから、

「十分に聴く」ことができるように、日々研鑽しているわけです。

 

「聴いてもらう」ことの効用

それは、行き詰まって鬱積したエネルギーが、

話して、ただ聴いてもらえることで、流れます、少し心がゆるみ、ほっとします。

 

苦しくて、辛い気持ちが少しゆるんで、安心します。

すると

自分の目の前に横たわった問題と、自分がどう関わろうか、

少しずつ距離が取れるようになり、客観的に眺めることができるようになります。

自分がどうしたいのか、どうしたらいいのか、その道を「選ぶ」ことができるようになります。

 

「聴く」ことの効用

「聴く」ことの’効用’という言葉遣いに、実は少し抵抗があります。

この「聴く」には、聴く人の’意志’が必要だからです。

 

そしてこの’意志’の大元は、

聴く人の「愛情」「思いやり」なんだと思います。

 

 「聴こうとする’意志’」「愛情」「思いやり」についてはとても根本的で大切なこと、ボイスアートを通じて学びました。

 

それは「他人の話を聴いてあげれば、自分にとってこんな効用があるから聴いてあげる」というような、

自分にとって利することを期待して行うことでは、決してないからです。

 

親子や夫婦、あるいは恋人など、とても心理的に身近な人間関係の場合、

「ただ聴く」が難しい、と申し上げましたが、

一番難しいのは「自分」に対してかもしれません。

 

「聴(き)く」は「聴(ゆる)し」

 

ただ「今あるがまま」を感じることを、聴(ゆる)し、

ただ「今ここ」はこうなんだと、みとめること。

 

そして

聴(ゆる)しは、究極の「愛」「思いやり」なんだとわたしは思います。




















2017/01/01

 

あけましておめでとうございます。

今年のお正月は思いのほか、暖かく穏やかです。



近所の神社へ初詣でに参りましたら、

梅の花の蕾が膨らんでいました。

 



お恥ずかしい話ですが、近年知ったことです。

 

寺社などにお参りするときに、

あまり自分のお願いごとばかりをたくさんするものではない、と。

 

神社へお参りするときは、

謙虚に、空っぽになって、頭を下げ、

自分の名前、住所、そして「よろしくお願いいたします。ありがとうございます」

心の中で言うようにしています。

 

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若い頃から、

「○○が欲しいので、それが叶いますように」という、

自分の欲が先に立ったご挨拶の仕方をしていました(恥)

 

私だって生きているヒトだもの…神様にお願いしたいこともあるわい!

なんで神様にそれをお願いして悪いねん…なんて思っていたのですが、

最近は、それは順序が逆なんだなぁ、って気づくようになりました。



お参りするときは、自分自身のお願いごとをするよりも、

謙虚に、空っぽになって、頭を下げ、

自分の名前、住所、そして「よろしくお願いいたします。ありがとうございます」

と、心の中で言う…

 

不思議なんですが、これを心がけていたら、

最近なんだか、自分の心もちがとても清々しくて、穏やかになってきているように、思います。

近年、自分自身の心身の健康や元気にも繋がっていることを、実感しています。

 

(もちろん、自分自身のお願いごとも、神様は聞いてくださると思います。

 でも、あまり欲張らずに、一つだけ…ね♪)

 

本年も、カウンセリングルーム樹喜では、

カウンセリングやボイスアートの場を通じて、

みなさまの心と身体の健康、豊かさに、

大いに寄与できる働きをさせていただきたい、と願っております。

 

どうぞ、本年もよろしくお願い申し上げます。

















 







2016/12/28




今や、誰もが使う「LINE」アプリ。

 

便利な反面、なんだかいろいろとメンドくさいことも起こるのでしょうか。

友人とLINEでチャットをしていて、「既読」マークがつかないというトラブルがありました。

 

そのトラブルをどうやって対処したらいいのだろうと思い、

いろいろ「LINE 既読」でググっていると、

なんと!「《既読》をつけないためのアプリ」なんていうのがあるのを発見!

 

家族や友人との連絡や、コミュニケーションに「既読」が付くことで、

とりあえず、こちらの伝えたいこと、確認したいことは相手は読んでくれているんだ、

と確認できる便利なツールだと思っていた私にとって、

「《既読》をつけないためのアプリ」とは、なんとも不思議なものだなぁ、と思いました。

 

アプリの説明を読んでいると、

 

 「既読」表示機能は、送った側は「ああ、読まれたんだ」ということがわかり安心できる一方、

  受け手側にとっては「早く返事を送らなくては」という状況になることもある。

 「既読」と表示されているのになかなか相手から返事がこない場合、送り手もやきもきすることもあるだろう。

 

という状況回避のためだったり、

 

  メッセージを受け取った側からすれば、相手に「既読スルー」「既読無視」と勘違いされたくない、

  つまり返信を強制されているかのような心理的・時間的負担を感じてしまう側面もあります。

 

という状況回避のため。

 

あるいは、

  相手に知られずにメッセージをチラ見するため

 (↑どういった必要があって、チラ見しなければいけないのか、私にはよくわからないのですが、苦笑)

 

なんだか、昨今のSNSによるコミュニケーションは、

便利なんだか、不便なんだか、よくわかりませんね。

 

また、わたしはFBも利用しています。

そもそも、豊かな人と人との交流のために開発されたSNSのはずでしょうが、

 

ときおり

 「他人に嫌われないためのFBでの記事アップのコツ」

 

みたいな記事もあったりして、

実は「なんだかなぁ…」と思ってしまうわたしです。

 

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人間関係のなかで、自分がいて、相手がいる。

相手が、自分のことをどう思っているのか、とか、

自分の言動が相手にどう受け取られているのか、とか、

気になって当然だと、思います。

 

だからこそ

自分の言動が相手にどう受け取られているのか、そこを確認したり、

誤解があれば、そのことを率直に伝え合い、

コミュニケーションを通じて、お互いが理解していく。

 

それがコミュニケーション、関係を作るということだと、わたしは考えています。

 

しかし、昨今のSNSにおけるコミュニケーションは、

自分の伝えたいことを、「自分発信」「自分の主体性」のもとに行う、

あるいは「自分がなにを感じ、なにを考えているか」というより、

まず「他人」=「外」に、自分の意識が向いている。

 

自分がまずありき、ではなくて

 

「他人からどう見えるのか」

「他人に嫌われないために」

 

なんだか、この意識の方が先に立っているように、思えるのです。

 

もちろん、ネット(SNS)上での他人を不快にさせないエチケットというものはあります。

 

でも「他人を尊重してコミュニケーションする」ということと、

「他人に嫌われないようにコミュニケーションする」というのは別物だ

 

と、わたしは思うのです。

















カウンセリングルーム樹喜

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