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  1. セルフケアのために 〜こころの整理に役立つお話
 

セルフケアのために 〜こころの整理に役立つお話

2017/02/17 セルフケアのために 〜こころの整理に役立つお話

日々の心や身体の健康をセルフケアについて、みなさまのお役に立てたら幸いです。

 

○ 呼吸のこと

○ どんなふうに物事を捉えていけばいいか

○ 考え方の整理など

○ 心と健康に関するセミナーや講演会、ワークショップなどの情報




(↑ 海陽町・大原の海岸での朝日)

 

 

この週末、ご縁があって徳島県海陽町(旧海部町)を訪ねてきました。

 

この地で林業を営むMさんのお宅にお邪魔して、

木にまつわるお話を聞かせていただいたり、

Mさんおすすめの海陽町の地をご案内いただきました。

 



山でのお仕事の話、木の話は、

現在の日本の経済の在り方や、人の在り方を問うところもあって、

とても頷けることでした。

 

Mさんは「杉」の木を専門に、長年育ててこられました。

海陽町付近で育つ「杉」は、

弾力性に富み、なによりも木の成分のおかげで、

シロアリにヤられないのだそうです。

この木で建てられた家は百人力だなぁ、と思いましたよ。

 

木がひとの生活に役立つほどに育つには、

何十年とかかります。

Mさんの日常生活での時間感覚は、長い...



そのMさんが繰り返し、繰り返し言われていたのは、

 

 五感を使う

 静かに一時(ひととき)立ち止まる時間を持つ

 

この大切さを説いておられました。

 

 どこかね、知らない土地に出かけても

 「きれいだね〜」って言いながら、さっさと通り過ぎるんではなくて、

 せめて30分なりとね、そこに腰を下ろして、

 静かにその地を、その時間を、味わうことだね...

 

 現代は、あまりに情報が多すぎる。

 なにが大切なことなのかが、皆わからなくなっている。

 周りの情報に、あまりに振り回されすぎ。

 

 自分の五感を使うことだね。

 食べること一つにしても、よく味うこと。

 


(↑「轟(とどろき)の滝」)



おっしゃっていることは、とってもシンプルなんです。

このシンプルなことは、誰にでもできる(自分でそうしようと思えば)こと。

 

これこそ

今の時代に、健康に生きるための、基本中の基本のことなのかな、

とわたしは思ったことでした。

 

Mさんにお話を伺う中で、こんな本をご紹介いただきました。

海部の町について書かれた本なんです。

 

実は今回こちらにお邪魔するまで、この地がこんな土地だとは、

わたしは知りませんでした。

 

日本の中で、自殺者数が一番少ない町なのだそうです!




「生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある」

 

 

この本の中で紹介されている「自殺率の低さの理由(わけ)」とは?

 

1.「他人がやってるから、私もやる」はやらない

2.よそ者歓迎!いろんな人がいてもいい

3.学歴、会社の看板よりも人物を見る

4.悩みごとを人に話す事は恥ずかしい事でない

5.ゆるく繋がる関係がいい

6.「どうせ自分なんて」と考えない



…続きは、こちら








「謙譲の美徳」というのは、日本人の文化に馴染む在り方ですね。

 

ときには、そのような在り方は控えめで、自分を抑えて他者と争わない...

それが物事によい形で表れることもあるかもしれません。

 

そのような在り方にあるひとが、

心から「与える」という立場に立っているときは...です。

 

多くの日本人は、他者からの自分への褒め言葉に対して、

素直に「ありがとう」と受け取ることの、苦手なひとが多いのではないか、

というのがわたしの印象です。かってのわたしもそうでした(苦笑)

 

今のわたしは、こう考えます。

他者がわたしを褒めてくれたら、

素直に「ありがとう」って受け取っていいのではないのかな、って。

 

人に褒められると、「いえいえ、わたし『なんか』...」って、

「謙譲の美徳」に走るひとがいるんです。

 

そして、そういう傾向にあるひとは、

わたし『なんか』っておっしゃる傾向があるみたいです。

 

どうして、「わたし」にさらに『なんか』がつくのかなぁ...?

「わたし『なんか』」って、とりあえずそう言うと、

他者から、自分が突っ込まれない...

自分が守られた感じがするのでしょうか それもあるかもしれません。

 

この『なんか』を「わたし」に付けることで、

「わたし」を不必要に『値引き』してるんですよねぇ...

 

「わたし」は、わたし「以上」でも、わたし「以下」でもないはず。

「わたしはわたし」なんです。

 

「あなた」は、あなた「以上」でも、あなた「以下」でもないはず。

「あなたはあなた」なんです。

 

『なんか』の次に続くのは、

『どうせ』という’自分責め’にも似た「スネ」モードなんですね。

「わたし『なんか』...どうせ...」なんです。

これを自分に対する「値引き」と言います。

 

ねぇ...!?

わざわざ、自分から「値引き」しなくたっていい、

そう思いませんか

 

もし

このわたしを高く買ってくれるひとがいたのなら、万々歳!

ありがたいことです

あなたを高く買ってくれるひとと大いに交わって、

自分の可能性を広げましょ!

 

もし

「わたし」に『なんか』を付け加えて言うことが、自分の癖だな、って気づいた人

どうぞ『なんか』を付け加えるのはやめて、シンプルにいきましょ!

「わたしは○○だ」という口癖に変えてみましょう。

 



あなたの口癖が、あなたの生き方に及ぼしている影響は大きいのです。


























 

1週間ほど前にみた、美しい夕暮れの雲。

すぅ〜っと立ち上がるこの感じを、なにか言葉に表すとすると、

どんな表現ができるのかなぁ...

 

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最近ご縁があって、月1回【はじめての俳句講座】というものに参加しています。

17文字の世界にこめられた深い世界が、俳句の世界と言えそう。

 

最近は、テレビでも俳句がネタのバラエティ番組もあるのですね。

俳句はブームなのかしら?

 

俳句の世界をあらためて、講座で教えていただいて、

これは心身の健康法にも通じるんじゃないかしら、と思うようになりました。

 

わたしが考えたその理由とは…

 

 ○季節のめぐりを意識するようになる

  (意識が外に向く)

 

 ○感じるアンテナが働くようになる

  (感性を磨く)

 

 ○四季のある日本は、本当に言葉の宝庫

  季語や俳句を知ることで、「言葉の引き出し」が増える

  (表現力アップに繋がる)

 

 ○日常生活の自分の体験や、自分が感じていることを

  俳句にすることを意識するようになる

  (自分自身への観察力がアップする)

 

 ○自分が感じていることを、ピタッと言葉にできたときの解放感が味わえる

  (カタルシス効果)

 

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講座では、俳句を作ったことのない参加者さんたちにも、

講師の先生がアドバイスをくださって、

その人が表現したいことを、うまく17文字に収まるように色々とご指導くださいます。

 

俳句の世界には、俳句の世界ならではのルールというものがありますから、

不慣れな者には、俳句を作る上で上達していくには、

とにかく俳句を作ってみる、ということなのでしょう。

 

俳句には「季語」が欠かせませんが、

こんな季語があるんだ、ということを知るだけでも、

季語を通して、季節を味わい楽しむ

わたしには最近、そんな楽しみが増えました。

 

また

17文字しか使えないという制約があるからこそ、

自分が感じていることにピタッと合う言葉を探す…

これがまた、言葉の宝探しみたいで面白いのです。

 

そしてなによりも、

目に映る景色、自分が日常生活で体験するちょっとしたことが

俳句のネタにならないかなぁ…と思うと、

ちょっとした小さな楽しみでもあります。

 

俳句は詠むひとが表す世界があって、

その俳句を読むひとの世界もある。

その世界をどう感じて、どう解釈するか、

解釈がたくさん生まれるほどその俳句は素晴らしいもの、

とは講師の先生のお話でした。

 

講座では、紹介された俳句で、

自分が気に入った俳句がどのように気に入っているのか

参加者のみなさんと分かち合う時間もあって、それがまた楽しい。

 

1人ひとりの方が、どんな風に1つの俳句を感じられて、

どのようにその俳句の世界を体験されているのか、そのお話を伺うと、

きっとその感じ方や味わい方にこそ、

その方がこれまで生きてこられた背景や、個性があるからこそなんだなぁ、

と、思うのです。

 

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俳句を作ろうとする作業は、まるで、

自分の体験することや、感じていることに、「言葉」という絵の具で色をつけている…

そんな作業にも、わたしには思われます。

 

さてさて

先日見た、春の夕暮れの雲の風景に、どんな「言葉」で色をつけようかなぁ…

思案中です。

 

絵(俳句)が描けたら、また発表しますね〜♡










 

  





 

 

今日は、CAP(子ども暴力防止)プログラムを保育園の子どもたちに届ける3日目でした。

 

CAP活動を通しての子どもたちとの関わりは一過性のもので、

保育園の先生のように、ずっと同じ子どもたちと関わり続けることはないのですが、

各日ワークショップの時間の最後に、子どもたちとお話をする「トークタイム」という時間があって、

そのときに、子どもたちの色んな話を聴くことがあります。

 

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Aくんは、こんな話をしてくれました。

 

今日よりもっと前の去年のこと、園の運動会でリレーをしたけれど、

自分がレーンの線をはみ出してしまって、はみ出した位置に戻って走り直しになったせいで、

自分のチームのみんなに迷惑をかけた、自分のチームは負けてしまった、そのことが気になっている…

 

そんなお話でした。

 

大人が聞けば、

「そんな前の話をまだ引きずっているの?」

とか

「それはたかだか、保育園の《リレー》というゲームの中の話じゃないか」

とか

そんな風に片付けてしまいがちかもしれませんね。

 

Aくんにとっては、その小さな胸に、いろんな色あいの感情や気持ちを感じて、結果的には

「間違ってしまった、上手くやれなかった(レーンの線を踏んでしまって、やり直しになった)自分」を責めている、

そんな感じでした。

 

わたしはAくんの話を聴きながら、

「自分のせいで、チームのみんなに迷惑をかけた」と

幼いながらにいまだに、自分を責めるようなAくんの想いを思うと、

なんだか、Aくんを抱きしめてあげたい気持ちに駆られたのでした。

 

自分が線を踏んでやり直し、ということにならなければ、

チームが負けちゃうことはなかったかもしれない、って思うと、悔しかったんだよね。

そのときは、AくんはAくんの精一杯で頑張ったんだよね。

ズルをしたり、わざと線を踏もうと思って踏んだのではない。

みんなと一緒に勝ちたくて、頑張って走ってたんだよね…

 

って。

 

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大人のわたしたちも、Aくんのように

自分のしたことがどうしても認められない、

今のこの状況がいやだ、今の自分がいやだ…後悔、自責の念などの苦しさでグルグルすることもあります。


どうかそんなときに、できれば…

ほんの少し、そんな自分に「優しいまなざし」をむけてあげてほしいのです。

ほかでもない、自分自身に。

 

「いやいや、そんな優しさを自分に向けてはいけない?そんなのは、自分を甘やかすことだ」…

そう思われるあなたへ…

 

自分を叱咤激励したり、自分を省みて、

「ここはこんな風に上手くいかなかったから、次はこうすればいいなぁ」

とか

「次にむけて、こんな風にやってみよう!」

とか

客観的に起こった状況を見直してみて、気持ち的にも前向きに考えられるのなら、

それはそれで、OKなのです。

 

ですが、もしただただ起こったことを悔やむだけ

自分責めモードのサイクルから出られない、もしそうなら。

 

案外、自分自身に「優しいまなざし」を注ぐことは、

自分責めモードのサイクルから抜け出るのに、役立ちます。

 

   上手くいく時、いかない時いろいろあるけれど、

    わたし(あなた)はわたし(あなた)なりの最善を尽くしてきました

   今は今で、上手くいく時、いかない時いろいろあるけれど、

    わたし(あなた)はわたし(あなた)なりの最善を尽くしています

   そんな風に生きているわたしに、お疲れさま

   疲れているなら、よくやすんで、また進んでいこうね…

 

こんな風に、自分に声がけできるとするなら、

これは思いもよらず、自分の中に静かなパワーが漲ってきますよ。

 

もし自分だけではできない、というあなたは、

あなたがとても信頼できるひとに、心をこめて次の言葉をかけてくださいと、

お願いしてみてください。


   上手くいく時、いかない時いろいろあるけれど、
    あなたはあなたなりの最善を尽くしてきました

   今は今で、上手くいく時、いかない時いろいろあるけれど、

    あなたはあなたなりの最善を尽くしています

   うん、そんな風に生きているあなたに、お疲れさま

   疲れているなら、よくやすんで、また進んでいこうね…

 
ためしにやってみて、これらの言葉を自分の胸のうちに響かせたときに、

自分の身体の中に、こころの中に、どんな感じが起こるのか、味わってみてください。

 

コツは、心をこめて「本気」で、あなたに言葉をかける

そのことを行うことです。

 

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本気でやってみたけれど、

やっぱり自分に優しいまなざしなんて、今は向けられないよ… という、あなた。

きっと「今は」なのでしょうね。

 

どんなひともその人の、その時の精一杯を生きているのだ

その人の、大切な、その人でしかありえないその人生…

 

わたしはそう、信じています。




















 

 

 


 

今日は、CAP(子ども暴力防止)プログラムを保育園の子どもたちに届ける2日目でした。

 

昨日、CAPプログラムで伝えられている3つの「安心・自信・自由の権利」…

特に「自由に生きる権利(「自由」は本当にしたいことを自分で選べたときの気持ち)」について、

少しわたしが思うことについて述べさせてもらいました。

 

「権利」というと、なんとはなしに「義務」や「責任」という言葉がセットになってくること、

でもここでお話している「権利」は「義務」はないということ、についてもお話しました。

 

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今日はCAPのお話ではなくて、「責任」という言葉を中心に、

自分の人生を、自分の手にする感覚について、お話してみたいと思います。

 

みなさんは「責任」という言葉を聴くと、どんなイメージを持たれますか。

なにか責めを負う、詰め腹を切らされる、みたいな感じを持ちませんか?

少なくとも、わたしはそうでした。

 

ところで、責任という言葉ですが、英語ではresponsibility

つまり、ちょっと乱暴に言葉を分解すると、response(応答する)+ ability(能力)となります。

※いわゆる「何か起こったことにたいする責任を取る」という意味の英語は、accountabilityという言葉があてはまるようです。

 

この「責任」という言葉について、改めて英語を見てみたときに、「あ!」と気づきました。

決して、責めを負うという意味合いではなくて、○○に対して応答する「能力」なのです。



さて

「自分の人生を、自分の手にする感覚」についてですが、次の文を口に出していってみて下さい。

 

(A)  ・わたしは、そのパーティに行けません

   ・わたしは「△△(あなたご自身の、現在気にしている何かでもいいです)」に関わることができない

    

(B)  ・わたしは、そのパーティに行きません。

   ・わたしは「△△(あなたご自身の、現在気にしている何かでもいいです)」に関わりたくない(あるいは関わらない)

 

 

どうですか。

単に語尾の違いじゃないか、って思われる人もいるかもしれません。

 

言葉に出して言ってみて、みなさんの身体の中に起こる感覚…なにか違いはありますか?

もし、AとBでなにか感覚的に違う、って感じられるものがあるとすれば、それはどんなものでしょう?

 

 

Aパターンは「○○できる、できない」(can、cannot)という表現です。

Bパターンは「○○する、したくない、○○しない」(will、will not)という表現です。

 

実は、Bパターンで表現しているときは、

関わっていることに対して、ひとは「(自己)責任を取っている」のです。

関わっていることに対して、自分の「応答する能力」を発揮している状態です。

 

関わるか、関わらないか、そこにあなた自身の「意志(will)」があります。

そしてそれこそが、あなたの人生の舵を、あなたが取っていることになるのです。

 

みなさんにとっては、どちらの表現がより「自分の人生を、自分の手にする感覚」に近いでしょうか?
わたしにとっては、Bです。

 

A「できる、できない」パターンで言う言い方は悪くて、

B「したい(する)、したくない(しない)」パターンは良い、という話ではありません。

ときには、Aパターンでしかいられない…みたいな状態のときもあります。

 

Aパターンの表現が口癖だったり、「○○できない…」で落ち込んでしまっているとき、

一度、「○○しない」「○○したくない」のBパターンで言い換えてみてはどうでしょう?

少し、あなたの身体に起きる感覚が変わって、なにかが変わるかもしれませんよ。

 

ただし

Aパターンで居たいか、Bパターンで居たいか、これすらもあなたが選ぶことができます。

 

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CAPプログラムで伝えている「自由に生きる権利」があるときは、

「本当にしたいことを自分で選べたとき」だと伝えていますが、本当にそうなのだなぁ、と思うのです。

 

つまり、Bパターンで表現できる状態にある、ということです。

とても喜びに満ちて、こころも身体もパワーがある状態です。

 

願わくば、世界中の子どもも大人も、

「自由に生きる権利」が守られて、健やかであることを心から願っています。

































(↑CAPセンターJAPAN 2007年発行 「CAP イラスト&コミック版 サクセスストーリー」より)

 

今日は、CAP(子ども暴力防止)プログラムを保育園の子どもたちに届ける1日目でした。

CAPプログラムでは、「ひとにはみんな生きるためにどうしても必要な3つの《権利》があるんだよ」

それは...

 

  安心して生きる権利 (「安心」は、いやなことや心配なことが何もないときの気持ち)

  を持って生きる権利 (「自信」は、今までできなかったことができたときの気持ち。心や身体が強くなったような気持ち)

  自由に生きる権利 (「自由」は、本当にしたいことを自分で選べたときの気持ち)

 

この3つの権利は「どんな人でも持っているんだよ」と、

どんな幼い子どもたちにもわかる言葉で伝えていきます。

 

ところで。

小学校や幼稚園、保育園でCAPプログラムを伝えていく中で、

ときおり「おっ???」と思うことがあります。

「みんな、どんな時に、あ〜自由だなぁ!って思う?感じる?」って聞いたときに、

すごく反応が薄いときがあります。

 

過去の小学校の子どもたちとの時間では、

「そんな時間な〜い。だって、習い事や塾で忙しいもん!自由な時間なんかな〜い!」

と、答えが返ってきたこともあります。

(最近では幼稚園や保育園に通う子どもたちも、「忙しい」のかもしれないなぁ…)

 

今日も、なんだか反応が薄かったです…

「みんな、どんなときに、自由?」って聞いても、「し〜ん」としていて。

 

なんだろうなぁ?時代の流れかしらん?

わたしはとてもそういう風潮?に危機感を感じるのですね。

 

大人セミナーなどで、CAPプログラムについてお話をするときに、

ときおり、こんな質問を受けることがあります。

 

「子どもに《自由に生きる権利ある》などと教えたら、なんでも好き勝手にやってしまって、

《責任》感もなく《義務》を果たさない好き勝手する子どもになりませんか」と。

 

多分「権利」という概念自体、日本人にとっては明治以降、海外から輸入されたものだったでしょうし、

「権利」というと思い起こされやすいのは、「責任」「義務」という言葉のセットです。

 

しかし、CAPプログラムで言う「全てのひとが生きるためにどうしても必要な《権利》」

というときの「権利」には、「義務」はないのです。

 

そして多分日本人が「責任」という言葉を聞いたときに思い起こすようなニュアンスの

「責任」もありません。

 

日本人にとって「責任」をとる、という表現の裏に感じるニュアンスは、

まるで詰め腹を切らされるような、少し追い詰められた重いものを感じないでしょうか?

 

(少なくとも、わたしもあることに気づくまでそうでした…

そのことについては【自分の人生を、自分の手にする感覚 (2)】でお伝えしたいと思います)

 

そして、この記事で強調してお伝えしたいことの1つは、

 

自由に生きる権利がある」という実感のもとに感じる気持ちは、

「本当にしたいことを、自分で選べた」ときに生まれるものなのです。

しかも、そこには大きな「喜び」の気持ちが伴います。

 

他者(親や、子どもより力を持ちやすい者)から、コントロールされることなく、

「わたしが、僕が○○したい、○○しよう」という選択のもとに、行動したことに対しては、

その結果に対して「自分で責任をとる力」を徐々に育んでいくはずです。

 

「みんな、どんなときに、自由?」って聞いても、「し〜ん」としていると、

「自分で選びとるちからが自分にあるんだ」ということを知ったり、喜びに感じる体験がないのかなぁ、

と心配になります。

 

その「自分には、自分の選択で生きるちからがある」ということを味わう体験を奪っているのは、

もしかしたら、子どもをコントロールしたい大人?

 

誤解のないように、重ねてお伝えしたいのは、

「自分が本当にしたいことを、自分で選ぶ」自由は、他者のどんな迷惑も考えずに、

他者の「自由の権利」を奪って、自分の好き勝手にする…ということとは、別物です。

 

自分の人生を、自分の手にする感覚…

これは「《わたし》が選ぶ」この体験が大切、わたしはそう考えます。

 

 

【自分の人生を、自分の手にする感覚 (2)】へ続く…



















前回のコラム記事「呼吸を意識する 〜セルフケアへの第一歩」で、

自分の呼吸を意識することは、簡単にできる心と身体のセルフケアへの入口、とお伝えしました。

本日はさらに一歩、深めます。

 

みなさんの心や頭は忙しくないですか?

同じことばかり、ぐるぐる考えていたり(ぐるぐる思考)、

心があるひとつの感情に囚われすぎていて苦しかったり(執着)




いわば「自分の悩みで、自分自身が占領されている」状態です(図A)

 

※A状態が極まると、不眠、食欲不振、倦怠感、やる気がおこらない、もやもやする、出口のないぐるぐる思考…などの症状が表れ始め、

 抑うつ状態に陥ります。

 

大抵、こういう状態のひとの呼吸は浅い状態です。

軸の通った太い呼吸ではないので、「自分軸」も揺らいだ状態です。

 

こんなときこそ、前回ご紹介した「自分の息を聴く」呼吸を行ってください。



悩みでいっぱいの自分と距離をとるために、

「自分軸」に還るために、自分の吐く息の音に意識を向けて、ただ聴く。

 

「我に還る」という言葉がありますが、まさしくそれです(図Bの左側の状態)

自分の呼吸の意識を向けながらも、いろんな考えやら、感情が湧いてくるかもしれません。

それは、それでいい、のです。

 

それらの考えや感情に

「今わたしは、自分の呼吸に意識を向けるね。あなたたちとはまた後で、取り組むからね」と、

そっとこころの中で、声をかけてあげます。

実際に、声に出した方がやりやすければ、声に出してもいいでしょう。

そうしてまた、自分の呼吸に意識をもどします。

 

そうすると、「自分自身」が「自分の悩み」と《間(マ)》が取れてくるのです(図B)

自分が一体、何にどのように悩んでいるのかが、少し客観的に眺められる余裕、ゆるみが生まれてきます。







普段から、ちょっとしたエクセサイズのつもりで、自分の呼吸(息)を聴くことをする時間をもつことを、

日々のご自身のセルフケアのためにオススメいたします。

 

わたしがカウンセリングやボイスアートなどで推奨している「呼吸」すなわち「息の道」は、

「自分軸」にほかなりません。

 

ひとはこの「自分軸」を育て、しっかりと「自分軸」に立つところから、

自分の抱える悩みと向き合い、問題と取り組み、自分自身の歩むべき方向がわかってくるのです。

 

 

生きている限り、ひとはいろんな出来事と遭遇しますし、

そのときにどうしたらいいか、悩むこともあってあたり前ですね。

 

ときには「自分の息の音を聴く」ことすらできないほどの大きな出来事に遭遇して、

途方にくれてしまうこともあるかもしれません。

 

もちろん、一人では解決しきれないと思える悩みに対しては

専門家の力を借りることも大切です。

 

それにしても、自分の呼吸を聴く(「自分軸」に還る)時間を持つことは、

あなたの人生において、あなた自身の生きるちからを育み、高める、といっても過言ではない、

と、わたしは考えています。






 











 

みなさんは、ご自分の呼吸を意識することはありますか?

 

この地球上で生きる人は、

すべて呼吸をしています。

それも、自分でも無意識のうちに。

 

息をしなかったら、死んでしまいますよね。

わたしたちが呼吸に無意識でいても、この命を維持するために、

身体さんが働いてくれているわけです。

ありがたいですね。

 

それほどに、普段は自分が呼吸をしていることには、

無自覚で過ごしています。

まぁ、普段の生活ではイチイチ、

あ、いま息吸った、あ、いま息吐いた、なんて

忙しくて、そこに意識を向けていられませんが。

 

...と「忙しくて」イチイチ呼吸に意識を向けていられない、

と書きましたが、まさしくそうなんです。

 

自分の身体や、自分の心を省みることなく、

忙しく(因みに「忙」しいという字は、「心」を「亡」くすと書きますね)

休むことなく、ずっと身体や心を使い続けていると、どうなるでしょうか?

 

外界の環境に対して、ずっと「臨戦体制」「興奮状態」なわけですから、

当然、疲れてきます。

 

外界にばかり意識が向けられていますから、

自分を意識するということがありません。

自分で自分をかまってあげる余裕がないのです。

 

モノでも長持ちさせたかったら、

ときどきメンテナンスをしたり、休ませてあげる、

というのはとても大切なことですね。

人間も同じです。

 

ところが

なかなか自分に対してはそうできない、って方々が多いのも事実です。

 

どちらかというと、無理してでも頑張ってしまうひと

周りの評価を気にしすぎるひと

他人のために、尽くしすぎるひとは、要注意です。

 

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《マインドフルネス》という言葉をお聞きになったことはありますか。

一般のひとのメンタルケアのみならず、うつ病やPTSDの治療などにも役立つ、とされています。

 

 「今、この瞬間の体験」に「意図的」に意識を向け、

 「評価せず」に、とらわれのない状態でただ観ること (日本マインドフルネス学会による定義) 

   

  ※「」は、特にわたしがつけました 

 

なにやらこんな風に書くと、むつかしそうに聞こえますが、

自分が無意識に行っている「呼吸に意識をむけること」でできます。

 

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自分の呼吸に、意識的になるポイントです。

「吐く息」に意識をむけます。

 

口から息を吐き、鼻から息を吸います。

吐けば、吸うは自然にできますから、

まずは「吐く」に意識を向けてください。

 

吸うことについては、

鼻から息を「吸う」というよりは自分に必要な空気が入ってくる…

そのくらいの意識でいてください。

 

自分の息を吐く音に耳をかたむけ...

口から出て行く息のあたたかさは、どんな感じか...

長く息を吐いているのか、それとも浅いのか...

 

などなど自分の「吐く息」をただ「観察する」ように、ながめてみます。

 

もしかしたら、いろんな「考え」が頭に浮かんでくるかもしれませんが、

そのときも「あ、考えがやってきたなぁ、頭に浮かんできたなぁ」くらいで、

また、自分の吐く息に意識をもどす。

 

これだけです。

 

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呼吸をしていない人はいません。

いつでもどこでも、誰でもできます。

 

家事の合間に

仕事の合間に

通勤電車の中で

そう、やろうと思えば、雑踏の中ででもできます(笑)

 

時間も、ご自身の好きなだけ。

やりたい方は1時間でも2時間でもどうぞ。

 

でも、そんなに時間はなかなかとれませんよね(笑)

1分間、自分の「呼吸を意識する」時間をもってみることから。

 

お金をかけずに、セルフケアをする第一歩です。

自分の吐く息を「味わう感じ」で、自分の呼吸を意識すると、

こころがす〜っと落ち着きますよ。


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毎月開催しています「ボイスアートグループレッスン@なら」では、

ボイスアート独自の呼吸法を行いながら、心身のセルフケアに有効な情報もお伝えしています。

 

詳しくはこちらをどうぞ。












   変えられることを変える勇気を

   変えられないことを受け入れる平穏を

   そして、変えられることと変えられないこととを知る叡智を

     (ラインホールド・ニーバー 神学者・倫理学者 アメリカ)

 

この言葉は、アメリカの神学者ニーバーが1943年の夏、説教をしたときの

祈りとされています。第二次世界大戦後は、アルコール依存患者の断酒会の

モットーとして採用された言葉でもあります。わたし自身は、子育て中に、

とある本の中でこの言葉に出会いました。穏やかな、とてもいい言葉だと思います。

 

ひととひとが対等に真摯に向き合うとき、

それは自他の違いをひしひしと感じる時かもしれません。

たとえ、血を分けた親子であっても、どんなに愛し合う夫婦、恋人であっても。

 

自分が大切であるのと同じように、相手も大切です。

相手が大切であるのと同じように、自分も大切です。

 

自分の都合にいいように相手を変えることはできません。

また、やみくもに、相手の都合に合わせて、自分を変えることは

お互いの関係にとって望ましいとはいえません。

自他の違いを、どちらか力のある方がねじふせようとすれば、

かならずその人間関係は壊れます。

 

ときに、自他の違いをそのまま認める。

とても勇気のいることかもしれませんが、それができたときに、

あなたの大切なひとのいちばん近くに、あなたが寄り添えることもあるのです。


「能ある鷹は爪隠す」「謙譲の美徳」・・・

こんなあり方は、日本人として自然に身につけたあり方かもしれません。

 

わたしが何につけ一番、というのではなくて、相手を立てることで相手を大事にする。

こんなあり方も、時にはとてもすてきです。しかし、こんなあり方が行き過ぎると、

「どうせわたしなんか・・・」と過剰に自分を卑下することにもなりかねません。

 

けれど、そんな時ほど意識して口に出して言います、「ありがとう」って。

あなたのまわりの大切な人から、あなたへ肯定的な言葉がかけられたら、

素直にいただいてしまいましょう。きっとそれは、あなたへの愛ですから。

 

そして、自分で自分にも言葉をかけてあげましょう。自分にYESをあげましょう。

「おはよう」「今日もわたしはすてき」「がんばってるね」・・・。これも、あなたへの愛ですから。

時に、悲しい気持ち、辛い気持ちの日は「今、わたしは悲しいんだね、辛いんだね」って、

自分に言葉をかけてあげましょう。

 

自分を無駄に責めたり、卑下することなく、他人に、傲慢にも卑屈にもならず

お互いを過大評価も過小評価もすることなく、

ただ、そのように、あるように、穏やかに、あたたかく。

自分を愛で満たしていきましょう。

自分のまわりを愛で満たしていきましょう。

 

ひとを愛することのよろこび、ひとから愛を受けることのよろこび、

このことを感じる感性を育てること。

これは、世の中の平和へも繋がっていくはずです。

続き

カウンセリングルーム樹喜

あなたはあなたのままで大丈夫。ひとりで悩まないでください。

本来のあなた自身へ還るための一歩が、ここにあります。


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