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奈良県大和郡山市(JR郡山駅すぐ)
  1. セルフケアのために 〜こころの整理に役立つお話
 

セルフケアのために 〜こころの整理に役立つお話

2017/02/17 セルフケアのために 〜こころの整理に役立つお話

日々の心や身体の健康をセルフケアについて、みなさまのお役に立てたら幸いです。

 

○ 呼吸のこと

○ どんなふうに物事を捉えていけばいいか

○ 考え方の整理など

○ 心と健康に関するセミナーや講演会、ワークショップなどの情報



 

ひとは生きていく上で、さまざまな人間関係において、

「許せない」という、強い感情に見舞われる経験をすることがある。

 

クライエントさんの話を聴いていても、

友人の話を聴いていても、

また、わたし自身の経験においても、

「許せない」想いをする経験は、珍しいことではない。

 

そんなことを考えていたら、

この本に出逢った。

著者は精神科医だが、書かれている内容は学術的なことではなく、

さらっと読める。

 

ラカン派の精神分析を学んだ、ということで、

精神分析の概念を使って説明している箇所もあるが。

 

著者自身が、祖母や母を「許せない」と強く思うことで、

悩んでいることが、本書を記すきっかけになっているようだ。

 

目次は

 

第1章 他人を許せなくて悩んでいる人たち

第2章 なぜ「許せない」のか?

第3章 「許せない」を引きずる人の特徴

第4章 「許せない」という病から抜け出すための4つのステップ

第5章 「許せない」自分を許すために

 

という章立てになっている。


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文中に興味深い例え話があった(本書 58頁)

 

夜道、強盗からバックを奪われた際に、ナイフで腕を傷つけられたとして、

傷つけた強盗が、あなたを治療してくれるだろうか?

 

否。

 

軽ければ、自分で応急処置もできようが、

重症の場合は、そんなわけにもいかず、

治療してくれるのは医師や看護婦であり、強盗ではない。

 

同じく、心に傷を受けた場合も、

あなたに傷を与えた当の相手が心の傷を癒してくれるわけではない。

 

相手の謝罪や許しを乞うのを待っていて、自分が許すか許さないかを決めるのは、

宝くじに当たるのを待っているようなもの。

それでは、自分の人生は相手次第ということになる。

 

それより、相手がどうあろうと、

自分の人生を自分の手に取り戻し、充実した人生を送ることのほうが、

相手への「最大の復讐」になるのではないか…

 

※実は、ここで「最大の復讐」という表現自体が、

 まだ、相手へのこだわりがあるようで、「復讐」という言葉に違和感を感じたが…

 

---------------------------------

 

本書で提唱されている「許せない」から抜け出す4つのステップ、

というのは、なるほどなと思わせるところがある。

 

「許せない」と思うことの裏側には、

多くは、自分が傷つく体験がある。

 

だから、まずは

 @「傷つき」を認識すること。

 

次に

 A「傷つき」からくる

   自らの心に沸いた「怒り」の感情を受け入れること。

        (感情は「怒り」だけではないかもしれない。「悲しみ」「妬み」「失望」「驚愕」…)

 

これらが「十分にできたら」(⬅これが結構、重要だとわたしは思うので、この言葉はわたしの追記)

  B相手を「理解しよう」とすること。

  (これは単に、相手を「理解」しようとするのであって、

  相手があなたにしたことを肯定したり、相手に共感できるようになる必要はない)

 

そして

  C「許せない」関係にけりをつける。

 

---------------------------------

 

わたし自身にも経験があるが、

 

@、Aステップが十分に行われていない状態で、

安易に「許そう」としたり、BやCのことを行おうとすると、

 

返って、心身に負担がかかる。

無理にしなくていい、と思う。

 

十分に、傷つけられた自分を労わり、

十分に、怒りを表現するのがいい。

 

傷つきや怒りが大きくて、

自分のちからだけでは手に負えなければ、

安心できる場所、あなたをサポートし、

味方になってくれる他者がいるところで、行うのがいい場合もある。

 

Bの、相手を「理解しよう」とすることは、

結局は、「自分を知る」ことにも繋がる作業である。

 

他人を責めたり、逆に自分を責めたりしないで、

淡々と、客観的に見られるようになったら、

かなり、あなたの心の傷は回復してきている、と言える。

 

実際には、すんなりと@→A→Bと進まない場合も多いと思う。

行きつもどりつしながら、

 

しかし

「自分の人生を自分の手に取り戻す」という意思を持つ限り、

 

「時間薬」「日にち薬」のちからも借りながら、

気がつけばC「許せない」関係にケリがついている…

 

むしろ

Cは最後のステップというより、

 

「許せない」関係にケリをつけるという意思を、

自分がもって望むのか、望まないのか。

 

そこなんだろうなぁ、とわたしは思っている。

 

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「許せない」心でいる、というのは

ものすごい心のエネルギーを使うことでもある

 

そして、多分…

 

そのような心のエネルギーの使い方は、

究極は、自分の心を蝕んでいくのではないか、と。

 

「許せない」関係にケリがつく、と

心がこんなにも軽やかになるものか、

とも、わたしは感じている。

 

 

 

 

 













 


 

少し、日が経ちました。

先日、自分自身の研修のために、

 

「薬に頼らず、うつを克服する方法」

 

という掲題で、関西カウンセリングセンター(淀屋橋)で行われた講座に、

出かけてきました。

 

講師は、秋田巌先生。

京都文教大学臨床心理学部の教授であり、

長年、精神科医として臨床でも、ウツの患者さんに向き合ってこられた方です。

 

カウンセラーという仕事に関わっておりますが、

実は、わたし自身も「うつ」に陥って、苦しんだ経験があります。

 

逆にそのとき、経験してくぐり抜けてきたことが、

今の仕事に役立っているとも言えますが。

 

わたしは、西洋医学的な視点や、

薬の服用は全面的に否定するものではないと思っています。

 

しかし、こと神経症レベルのウツに関しては、

薬の服用だけでは、よくならない…とも思っています。

 

先日の講座では、秋田先生は軽症〜中程度のウツは、

薬に頼らず克服することは十分可能だ、とおっしゃっています。

 

  ※どの程度が、軽症〜中程度かという目安について。

   どうにか、こうにか会社へ仕事に行けるレベルは中程度、ということでした。

 

冒頭の画像は、先生が最近発刊されたご著書です。

『うつの人の風呂の入り方』というタイトルですが、

本書は風呂の入り方だけをご指南されているわけではありません(笑)

 

ウツ状態に陥りますと、多くの人は細かい字を読んだり、

論理的にじっくりと考えることが困難な状態に陥ります。

 

そんな方たちのためにも読みやすいようにと、

とても平易に、普段の過ごし方について、

 

そして

とても実践的なことが書いてある本です。

 

うつ病の患者さんを抱えるご家族の方にとっても、

役立つ本ではないか、と思います。

 

著者の秋田先生ご自身は、

関わってきた多くの患者さんたちが教えてくれたことを、

本にまとめました、とおっしゃっています。

 

先生の講座での話を聞きながら、

また、自分自身の体験を通しながら、

「そうそう」と頷けることが、多くありました。

 

この本のなかに書かれていることは、

現在、ウツという状態にない方たちでも、

ご自身の健やかな生活のために、役立つことも多いと思います。

 

わたしが「そうだ、そうだ」と頷けたその一つを、

ご紹介します。

 

「考えるべきこと」

「考えても仕方のないこと」

 

この2つを、区別する

これらを普段から、自分で区別するちからをつけておくことは、

とても大切かな…と思うのです。

 

「考えるべきこと」というのは

なにか問題が起こったとき、あるいは問題が想定できるとき、

〈具体的〉に対処できる方法などについて考える、ということです。

 

ミソは〈具体的〉であること。

 

「考えても仕方ないこと」

というのは、多くは〈漠然〉としています。

 

〈漠然〉とした〈予期不安的なこと〉だったり、

自分の頭の中でどんどん、自分が膨らませていく〈妄想〉だったり。

 

あるいは

過ぎてしまったことへの、必要以上の〈後悔〉とか〈執着〉だったり。

 

ま、

「考えても仕方ないこと」というものに囚われる自分も、

 

ある意味、

それが自分にとって〈必要〉だからやっている、という部分もあって、

 

これもまた、

わたしは「考えても仕方のないこと」を考えてはいけない、

というつもりは、全然ないのです。

 

ただ

「考えても仕方ないこと」なんだけど、

 

今、自分はそれをやっているなぁ…その状態なんだなぁ…と《気づいている》のと、

気づかずに、その状態に《巻き込まれている》のとの、差は大きい。

 

精神的なダメージが大きく、ウツ状態までに陥ってしまっているときは、

「考えても仕方ないこと」に否応なく《巻き込まれている》状態とも言えましょう。

 

願わくば、心的なエネルギーがあるときに、

 

「考えるべきこと」

「考えても仕方のないこと」

 

これらを区別する…

このことを普段から、自分の中で区別できる智慧を養っておくと、

自分の心身の健康のために、随分と役立つ…と思います。



ーーーーーーーーーーーーーーー

 

因みに、本書の帯ウラには

「うつ病を一瞬でよくする魔法」の数々…って、

あるんですけどね…(苦笑)



 

 

確かに、ウツ状態、早くどうにか、って

本人も周りも思うこと、多いと思いますが。

 

う〜ん

「一瞬」で治る、ってない、って

わたし的には思うんですけどね。

 

でも

自分なりの「工夫」と「意思」で

ウツ状態を抜け出したり、うまくつきあうことは、

必ずできる!と、わたしは思います。



あ、それから!

 

・身体を温めること

・Earthing(アーシング)…自分が大地の上にしっかり立っている感じを培うこと

 

この大切さも、秋田先生は伝えておられます。

わたしも、同感です!

 

今、うつでしんどい方も、

なんとか薬に頼らず、ラクになって、

生き生きと過ごせるようになっていかれますように、

心から願ってやみません。

 




























































 

※ 田中圭一さんがこの本の出版に際して語った記事は、コチラ

 

辛い’うつ’から、どのようにして抜けていったか、

あるいは、’うつ’とどのようにつきあっているのか…

 

このコミックについては、ご存知の方も多いでしょう。

 

漫画家・田中圭一さんが自身の体験、

また、著名人を含む他の経験者の話をもとに、書かれたものです。

 

仕事柄、’うつヌケ’について、どんな風に描かれているのか興味があり、

たまたまこの本が、手元にやってきたので読んでみました。

 

ひとの数だけ、ひとの生き様があるわけですから、

一口に’うつ’と言っても、なにが原因なのか、どんな症状なのか、

あるいは、うつのヌケ方だってひとの数だけあると言えましょう。

 

漫画の最後に、こんなコマがあって、

なるほどね、と思えるコマを紹介します。

 

 






うつは「なる」ものじゃなくて、

誰の心の中にも「眠っている」もの

 

この考え方は、’うつ’を否定するのではなくて、

’うつ’は誰でもなるかもしれない、という前提ありきで、

いい感じだなと思います。

 

 

そして

「自分が好き、肯定されたい、必要とされたい」

この人間の本質に抗うと、心が弱る…

 

このことは、

きっとどんな人にとっても、そうなんだと思います。

 

 

そして

 

うつは心の風邪

というのはよく聞く言葉です。

 

多分、これはひどくこじらせてしまう前に、

心の声に気づいて、手当をしよう…

誰でもかかるかもしれないから…ということなのでしょう。

 

ある意味、そうとも言えますが、

本書ではこんなコマもありました。



 

このコマは、脚本家の一色伸幸さんが体験されたことで、

 

一色さんは、自分ではなんの思い当たる節も要因もなかったにも関わらず、

ある日、突然「風景から色が消えた」と言っておられます。

まさに、晴天の霹靂だったでしょう。

 

しかも

うつは放置しておくと、死に至る病なのだ、と。

 

そしてひとりの自死は、

明らかに周りの関係者に、大きな影響を与えます。

 

  ここの件(くだり)を読んでいたとき、ある本の記述を思い出しました。

    興味のある方は、本を読んでいただきたいのですが、

  死にたい…という「希死念慮」に至るのは、

  原始社会には意味のあった’絶望のプラグラム’が’誤作動’するからだ、という説です。

 

     ※「自殺の危機とカウンセリング」第1章『自殺とはなにか』(下園壮太著 金剛出版 2002年)




 

うつは、’心のガン’

 

だけども、

わたしたちはその’心のガン’に対して、打つ手はあります。



 

「自分を否定するものから遠ざかり、

 自分を肯定してくれるものに近づく」

 

基本はこれです。

 

逃げるが勝ち

なんて諺もあります。


褒めて育てよ

という言葉もあります。

 

ひとは健康な時は、自分自身のちからで、

「自分を否定するものから遠ざかり、

 自分を肯定してくれるものに近づく」

これができます。

 

多少の辛いこと、苦しいことがあっても、

自分の心身を守るために、

あるところや、ある関係から距離を置いたり、

自分自身を肯定的に捉えなおしたり、ということができます。

 

しかし

育ちやその後の人生経験の中で、否定体験があまりに強烈なものだったり、

あるいは、あまりに心と身体が弱りすぎて、

自分自身のちからで、自分自身を守ることが覚束無いときもあるのです。

 

自分自身のちからだけでは

「自分を否定するもの」と距離が取れない(離れられない)

「自分を肯定してくれるもの」に気がつかない

という状態になります。

 

そういうときは、

他人のちからや専門家のちからを借りることが、

必要になることもあるのです。

 

’うつ’は、

自分自身の心身に起きていることを、教えてくれているのです。

 

’うつ’にはならないに越したことはないかもしれないけれど、

’うつ’を通して、自分自身と向き合い、自分らしく生きるきっかけに、

なることもあるのです。 





 

 

 

 

 

 



























↑絵を描くモデルに、といただいたツワブキ、郵便局で期間プレゼントでもらった花ポットや、

旅先の道の駅で買った花ポットの花々が...なかなかに涼しげです。

 

カウンセリングには、いろんな方がいろんな悩みを抱えてこられます。

 

最近、来られているAさん。

あることに対して怖い、という訴えをされています。

 

先日、Aさんの「怖さ」についてお話をお聴きして、

はじめてわかったことがありました。

 

わたし自身の思い込みや、知らなさから、

Aさんの一言でおっしゃる「怖い」の背景に、

どんな「怖さ」があるのか、危うく見逃すところでした。

 

クライエントさんのことは、

クライエントさん自身に聞いてみないとわからない。

まさしく、それ!

 

カウンセラーは「聴く」を通して、

クライエントさんが自分の声が「聴く」ことができるように、

自分と向き合えるようにサポートする

 

自分自身の心の声と繋がって、

自分がこうしたい、こうしよう...と思った先に、

その方の進む道があるはずだからです。

 

Aさんはご自分の怖さを抱えながら、

その「怖さ」と向き合おう、という意思をお持ちです。

 

Aさんのお話をお聴きしていると、

行きつもどりつしながらも、

Aさんの「自分を生きようとするちから」を感じます。

 

そんなAさんの姿を見せていただいて、

ありがたいなぁ、とそんな気持ちになります。




 

-------------------------------------

 

身体的、精神的、心理的な不調に陥ったとき、

それらの症状を緩和するために、

服薬などの医療的な処置が必要な場合や、助けになることも、確かにあります。

 

ただし、わたしはこんなふうに思います。

 

心や身体に表れること、症状、もっと広げて言えば、

出会う体験すらも、そのひと自身がこの世で向き合う’課題’として、

無意識のうちに、どこかで「それ」を選び、

あるいは「それ」に選ばれて、出会っているのでしょう。

 

 ※ここで1つ、申し添えておきたいのは、

  ひとが出会う体験(筆舌に尽くしがたい辛いものであった場合は、特に)が、

  仮に、そのひとのこの世で向き合う’課題’だとしても、

  それは決して「〈その人が悪いから〉〈その人に罪があるから〉そんな体験をするのだ」

  ということでは、決してありません。

 

自分の’課題’として、取り組むも取り組まないも、

そのひとの意思次第、自由なのです。

 

 

心身一如、という言葉があります。

 

ふだん、自分が「頭」で、

「こうすべき」とか「こうでなければならない」とか

「当然こうしかありえない」と考えていること、思い込んでいること...

 

これらは本当に、

あなた自身にとってあなたが安心して、心地よくいられることでしょうか?

 

頭で判断し、考えていることが、

ときに自分の心に背き、自分の身体に背いていることがあるのです。

 

心の声は、身体に表れます。

「症状」として表れることもあります。

 

心や身体に表れていることや「症状」は、

自分が本当は言いたいことだったりします。

 

心や身体に表れていることを無視したり、ないことにしたり、

むやみに「症状」を消すのではなくて、

それらと向き合う、それらの声に気づく、聴く...

 

そうすると、自分の取り組む’課題’に気付いたり、

自分が本当にしたいことや、自分のありたいあり方に気付いたり、

そんな道筋への入口にもなるのです。

 

今まで、気づかなかったこと、

気づこうとはしなかったことに触れるのは、

怖いことでもあります。

 

勇気ある行為です。

 

同時に、

喜びの存在である、本来の自分自身と出逢うこと

 

でもあります。

 

自分と向き合うとは

そういうことだと、わたしは思っています。

 

 

 




















自分の中に起こりがちな「評価モード」とどう、つきあうか。

 

  どうせ、わたしには才能がない…

  どうやったって、上手くいくはずがない…

  わたしは、ダメ...



こんなふうに、「わたし」に✖をつけてしまうクセ。

 

または

「こうある’べき’理想の形」を最初から描きすぎて、

こんなはずではない!のループにハマってしまう…

 

表現することにおいては、

「自分に対する(特にマイナス)評価モード」が発動すると、

こころも身体も、緊張し、萎縮してしまいます。

 

(すでにある’お手本’を見ながら描くときは、少し違ってくるかもしれませんが)

パステルの絵を描くことで言うと、

 

   ●最初から「完成形」を、頭の中で作り上げない

   なんとなくこんな風に…みたいな、自分の中で感じられる「なんとなく」を大切にします

 

    ●なんとなく自分の中で感じる…自分の「感じ」を丁寧に味わう

 

   特に途中、どんな風に描けばいいか迷ってしまう、あるいは、詰まってしまったら...

   一旦とまってみる(時間を置く)

 

 

   ●紙の向きを変えてみる(視点を変える)

   ↓向きを変えると、なんとなく見える「感じ」が変わりませんか?

 

 

 

 

そして

わたしを無心にして、気づきを促す言葉

(友人Jさんがよくこの問いかけの言葉をかけてくれて、いいなぁと思っているものです)

 

   この絵は今、どうなりたがっている?

 

 

「そんな!絵に問いかけたって、絵が答えてくれるのかなぁ?わからん〜」と言わずに、

1度、試してみてください。

 

特に最後の問いは、

「自分がなんとかしなくちゃ!」という気張りから、自分自身を自由にしてくれる

そんな働きがあるように思います。

 

コツはボンヤリと絵を眺めてみること。

 

また

くるりっと絵の向きを変えることで、

自分の中の感じ方が変わったり、見え方が変わります。

 

あ!次はここをこんなふうに描いてみようかなぁ、なんて

新たなアイディアが生まれてくることもあります。

 

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絵を描くことに限らず、

上に示した「評価モード」とつきあう…というより、

「評価モード」に掴まらないコツ、と言ったほうがいいでしょうか、

 

これは、

普段の自分に起きた体験と、どのようにつきあうか。

そんなコツにも、通じているように思います。

 

わたしが何とかしなくちゃ!」という自我を手放してみる ことで、

逆に物事がスムーズに動くこともあるなぁ、と実感している昨今です。



 向きを変えただけの同じ絵。あなたはそれぞれにどんな感じがしますか?

 








 

 


「パステルという扱いやすい素材があって、楽しく描けるよ」というので、

指で描くやり方、というのを教えてもらい、初めて描いてみたのが、下の絵↓↓です。



 

今から見ると、ずいぶん単純で稚拙な感じですが、

わたしにとっては記念すべき1枚です。

わたしの好きな奈良の「飛火野」をイメージして描きました。

 

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一時「10000時間の法則という言葉が流行ったことがあるようです。


※〈超一流〉に関する心理学者アンダース・エリクソンの理論・研究に基づいて、

    マルコム・グラッドウェルが『天才! 成功する人々の法則』という著書で唱えた。

 「10000時間の法則」に対して、エリクソンの研究対象で設定した条件が、考慮されていない点を、批判的にみる意見もある。

 

漫然と時間を費やして、とにかく時間をかければ、

その道の卓越者になれる、というわけではないでしょうが、

 

ある一定のレベルに達するのに、時間がかかる。

しかも、例えばプロレベルに達する目安として、10000時間ということです…

 

1日3時間、あることに集中して習練を積む

それでも1年365日として約9年です。

 

  石の上にも3年

…という諺があります。

 

どんなに冷たい石の上でも、3年も座っていれば、温まってくる。

耐え忍ぶことの大切さを説いた諺ですね。

 

3年継続して行ったことがどのレベルか、というのは置いておくとしても、

何事かをある形になるところまで持っていくのに、

継続して行うことで、形になる、ということです。

 

逆に3日坊主、という言葉もありますね(笑)

 

  継続は力なり

という諺もあります。

昔のひとは、うまいこと言うなぁ、と思います。

 

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もう1つ、何事かを1つの形にしていくのに、

大切な要素があると、思います。

 

これも諺を借りるなら

 

  好きこそ物の上手なれ

 

他者がなんと言おうと、どんな風にあなたのすることを見ていようと、

あなた自身が「そのこと」を行うのに、

いろんな苦難を乗り越えても、継続していくのに、

 

あなた自身にとって「心地よい」「喜び」となること

あるいは

あなた自身が「したい」こと

 

これらのあなた自身のハートから生まれる気持ち…

これほど、あなたが何事かを為すのに、

強力な源動力となってくれるものはないように思います。


  どうせ、わたしには才能がない…

  どうやったって、上手くいくはずがない…

 

こんなふうに、自分に✖をつけてしまいがちな方は、

 

まずは

今の時点で「上手にできているか、どうか」の’評価のメガネ’を一旦外してください。

あなたが今しようとしていることは、

 

あなた自身にとって「心地よい」「喜び」となること?

あるいは

あなた自身が「したい」こと?

 

これを自分の胸に聴いてみることです。

この答えは、あなたにしかわからないことです。

 

どこかに ’yes!'って、囁く声が聴こえるなら、

まずやってみませんか?



 

最近、描いた1枚です。

ほとんど指を使って描いています。

描き始めのころから思えば、随分と、手慣れてはきました。

 

わたしは専門的に美術学校へ行ったわけではありませんが、

パステルで描くことは好きで、ボツボツとでも続けてきました。

  

まだまだ先は長いですし、

この先どんな風になっていくかは分かりません。

 

それでも

精神的に辛かった時に、描くこと、表現することに、助けられました。

 

始めた頃に比べれば、描き方も少しは上達したし、

なにより自分にとって、豊かな世界が広がりました。

 

次回は、

自分の中の ’評価のメガネ’とのつきあい方。

もう少し、具体的にお伝えします。

  

…to be continued


 

 



パステルを手にして、「描く」ということを覚えてから、

ちょうど7年ほど経ちます。

 

基本15cm四方の紙に描いていきます。

この小さな色の世界を描く中で、

ずいぶん多くのことに気づいてきました。

 

絵を描く、ということのみならず

生活の中でも、自分の視点の持ち方が豊かになったなぁ、

と思えることが、いくつもあります。

 

そのことを、数回に分けて書いてみたいと思います。

 

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パステルに出逢うより以前に、心理学の学びの一環で、

「なぐり描き法」というものを体験していました。

 

※ 「なぐり描き法」は、その時の自分の心の動きのままに、線を殴り描いたり、塗りつぶしたり、

  自分の心のうちを言葉を使わずに、描くことによって発散する方法です

 

なぐり描きには、「上手い下手」という評価は全くありません。

 

評価のないところで「表現する」ということそのものに、

癒しの作用や、ひとを勇気づける作用があるんだなぁ、ということは、

その学びを通じて感じていました。「芸術療法」という方法があるくらいですから。

 

わたしが描いたものや、’パステル和アート’に興味を持たれる方で、

よく言われることが、

 

  わたしもこんな風に絵が描けたらいいなぁ、と思うんですよ

   でも、なぜか「描く」ということに抵抗があるんです

   わたしには描けない、と思います



う〜ん

この「描く」ということに対する抵抗…

これは、どこから生まれるのでしょうか。

 

最大の難関は

「評価を下(くだ)してしてしまうクセ」かなぁ、と思います。




少し話が飛びますが…

  

この2つの丸を見て、どっちの丸が、より気になりますか?

ほとんどの方は、欠けた丸の方が気になったと思います。

 

なぜなら、命の危機を回避するために、

不安定で、欠けている部分を察知する能力は必要であり、

それはヒトの本能に根ざしているものでもあります。

 

このように、人は「足りてない」「欠けている」と思うところに

注目してしまうクセがあるのです。

 

しかもこの「足りてない」「欠けている」と思うことは、

あまり落ち着けることではありません。

違和感を感じ、居心地が悪いし、時には、

不安や怖れの感情を呼び起こすものなのです。

 

誰でも、自分がやったことのないこと、

スキル的にも未熟なことをやろうとするときは、

上手くいかなくて当たり前、居心地悪くて、怖くて当たり前なのです。

 

ただし

「上手くいかないところ」に意識が行き過ぎ、

違和感、居心地の悪さ、怖れ、不安を感じることを回避する方法として、

いろんな言い訳や、評価を下すというクセが発動するようです。

 

  どうせ、わたしには才能がない…

   どうやったって、上手くいくはずがない…

 

または

「こうある’べき’理想の形」を最初から描きすぎて、

こんなはずではない!のループにハマってしまう…

 

自分で作り出した’べき’形に自縛されて、

逆に固まってしまい、とても窮屈です。



絶対ある’べき’は、完全なマルである。

完全なマルが「良し」!

 欠けたマルは「ダメ」!

 

 

表現することにおいては、

「自分に対する(特にマイナス)評価モード」が発動すると、

こころも身体も、緊張し、萎縮してしまいます。

 

じゃ、この「評価モード」とつきあうためには、

どうしたらいいのでしょう?

 

それはまた、続きに書きますね。

to be continued...





















(↑ 海陽町・大原の海岸での朝日)

 

 

この週末、ご縁があって徳島県海陽町(旧海部町)を訪ねてきました。

 

この地で林業を営むMさんのお宅にお邪魔して、

木にまつわるお話を聞かせていただいたり、

Mさんおすすめの海陽町の地をご案内いただきました。

 



山でのお仕事の話、木の話は、

現在の日本の経済の在り方や、人の在り方を問うところもあって、

とても頷けることでした。

 

Mさんは「杉」の木を専門に、長年育ててこられました。

海陽町付近で育つ「杉」は、

弾力性に富み、なによりも木の成分のおかげで、

シロアリにヤられないのだそうです。

この木で建てられた家は百人力だなぁ、と思いましたよ。

 

木がひとの生活に役立つほどに育つには、

何十年とかかります。

Mさんの日常生活での時間感覚は、長い...



そのMさんが繰り返し、繰り返し言われていたのは、

 

 五感を使う

 静かに一時(ひととき)立ち止まる時間を持つ

 

この大切さを説いておられました。

 

 どこかね、知らない土地に出かけても

 「きれいだね〜」って言いながら、さっさと通り過ぎるんではなくて、

 せめて30分なりとね、そこに腰を下ろして、

 静かにその地を、その時間を、味わうことだね...

 

 現代は、あまりに情報が多すぎる。

 なにが大切なことなのかが、皆わからなくなっている。

 周りの情報に、あまりに振り回されすぎ。

 

 自分の五感を使うことだね。

 食べること一つにしても、よく味うこと。

 


(↑「轟(とどろき)の滝」)



おっしゃっていることは、とってもシンプルなんです。

このシンプルなことは、誰にでもできる(自分でそうしようと思えば)こと。

 

これこそ

今の時代に、健康に生きるための、基本中の基本のことなのかな、

とわたしは思ったことでした。

 

Mさんにお話を伺う中で、こんな本をご紹介いただきました。

海部の町について書かれた本なんです。

 

実は今回こちらにお邪魔するまで、この地がこんな土地だとは、

わたしは知りませんでした。

 

日本の中で、自殺者数が一番少ない町なのだそうです!




「生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある」

 

 

この本の中で紹介されている「自殺率の低さの理由(わけ)」とは?

 

1.「他人がやってるから、私もやる」はやらない

2.よそ者歓迎!いろんな人がいてもいい

3.学歴、会社の看板よりも人物を見る

4.悩みごとを人に話す事は恥ずかしい事でない

5.ゆるく繋がる関係がいい

6.「どうせ自分なんて」と考えない



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「謙譲の美徳」というのは、日本人の文化に馴染む在り方ですね。

 

ときには、そのような在り方は控えめで、自分を抑えて他者と争わない...

それが物事によい形で表れることもあるかもしれません。

 

そのような在り方にあるひとが、

心から「与える」という立場に立っているときは...です。

 

多くの日本人は、他者からの自分への褒め言葉に対して、

素直に「ありがとう」と受け取ることの、苦手なひとが多いのではないか、

というのがわたしの印象です。かってのわたしもそうでした(苦笑)

 

今のわたしは、こう考えます。

他者がわたしを褒めてくれたら、

素直に「ありがとう」って受け取っていいのではないのかな、って。

 

人に褒められると、「いえいえ、わたし『なんか』...」って、

「謙譲の美徳」に走るひとがいるんです。

 

そして、そういう傾向にあるひとは、

わたし『なんか』っておっしゃる傾向があるみたいです。

 

どうして、「わたし」にさらに『なんか』がつくのかなぁ...?

「わたし『なんか』」って、とりあえずそう言うと、

他者から、自分が突っ込まれない...

自分が守られた感じがするのでしょうか それもあるかもしれません。

 

この『なんか』を「わたし」に付けることで、

「わたし」を不必要に『値引き』してるんですよねぇ...

 

「わたし」は、わたし「以上」でも、わたし「以下」でもないはず。

「わたしはわたし」なんです。

 

「あなた」は、あなた「以上」でも、あなた「以下」でもないはず。

「あなたはあなた」なんです。

 

『なんか』の次に続くのは、

『どうせ』という’自分責め’にも似た「スネ」モードなんですね。

「わたし『なんか』...どうせ...」なんです。

これを自分に対する「値引き」と言います。

 

ねぇ...!?

わざわざ、自分から「値引き」しなくたっていい、

そう思いませんか

 

もし

このわたしを高く買ってくれるひとがいたのなら、万々歳!

ありがたいことです

あなたを高く買ってくれるひとと大いに交わって、

自分の可能性を広げましょ!

 

もし

「わたし」に『なんか』を付け加えて言うことが、自分の癖だな、って気づいた人

どうぞ『なんか』を付け加えるのはやめて、シンプルにいきましょ!

「わたしは○○だ」という口癖に変えてみましょう。

 



あなたの口癖が、あなたの生き方に及ぼしている影響は大きいのです。


























 

1週間ほど前にみた、美しい夕暮れの雲。

すぅ〜っと立ち上がるこの感じを、なにか言葉に表すとすると、

どんな表現ができるのかなぁ...

 

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最近ご縁があって、月1回【はじめての俳句講座】というものに参加しています。

17文字の世界にこめられた深い世界が、俳句の世界と言えそう。

 

最近は、テレビでも俳句がネタのバラエティ番組もあるのですね。

俳句はブームなのかしら?

 

俳句の世界をあらためて、講座で教えていただいて、

これは心身の健康法にも通じるんじゃないかしら、と思うようになりました。

 

わたしが考えたその理由とは…

 

 ○季節のめぐりを意識するようになる

  (意識が外に向く)

 

 ○感じるアンテナが働くようになる

  (感性を磨く)

 

 ○四季のある日本は、本当に言葉の宝庫

  季語や俳句を知ることで、「言葉の引き出し」が増える

  (表現力アップに繋がる)

 

 ○日常生活の自分の体験や、自分が感じていることを

  俳句にすることを意識するようになる

  (自分自身への観察力がアップする)

 

 ○自分が感じていることを、ピタッと言葉にできたときの解放感が味わえる

  (カタルシス効果)

 

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講座では、俳句を作ったことのない参加者さんたちにも、

講師の先生がアドバイスをくださって、

その人が表現したいことを、うまく17文字に収まるように色々とご指導くださいます。

 

俳句の世界には、俳句の世界ならではのルールというものがありますから、

不慣れな者には、俳句を作る上で上達していくには、

とにかく俳句を作ってみる、ということなのでしょう。

 

俳句には「季語」が欠かせませんが、

こんな季語があるんだ、ということを知るだけでも、

季語を通して、季節を味わい楽しむ

わたしには最近、そんな楽しみが増えました。

 

また

17文字しか使えないという制約があるからこそ、

自分が感じていることにピタッと合う言葉を探す…

これがまた、言葉の宝探しみたいで面白いのです。

 

そしてなによりも、

目に映る景色、自分が日常生活で体験するちょっとしたことが

俳句のネタにならないかなぁ…と思うと、

ちょっとした小さな楽しみでもあります。

 

俳句は詠むひとが表す世界があって、

その俳句を読むひとの世界もある。

その世界をどう感じて、どう解釈するか、

解釈がたくさん生まれるほどその俳句は素晴らしいもの、

とは講師の先生のお話でした。

 

講座では、紹介された俳句で、

自分が気に入った俳句がどのように気に入っているのか

参加者のみなさんと分かち合う時間もあって、それがまた楽しい。

 

1人ひとりの方が、どんな風に1つの俳句を感じられて、

どのようにその俳句の世界を体験されているのか、そのお話を伺うと、

きっとその感じ方や味わい方にこそ、

その方がこれまで生きてこられた背景や、個性があるからこそなんだなぁ、

と、思うのです。

 

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俳句を作ろうとする作業は、まるで、

自分の体験することや、感じていることに、「言葉」という絵の具で色をつけている…

そんな作業にも、わたしには思われます。

 

さてさて

先日見た、春の夕暮れの雲の風景に、どんな「言葉」で色をつけようかなぁ…

思案中です。

 

絵(俳句)が描けたら、また発表しますね〜♡










 

  




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