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  1. セルフケアのために 〜こころの整理に役立つお話
 

セルフケアのために 〜こころの整理に役立つお話

2017/02/17 セルフケアのために 〜こころの整理に役立つお話

日々の心や身体の健康をセルフケアについて、みなさまのお役に立てたら幸いです。

 

○ 呼吸のこと

○ どんなふうに物事を捉えていけばいいか

○ 考え方の整理など

○ 心と健康に関するセミナーや講演会、ワークショップなどの情報



↑絵を描くモデルに、といただいたツワブキ、郵便局で期間プレゼントでもらった花ポットや、

旅先の道の駅で買った花ポットの花々が...なかなかに涼しげです。

 

カウンセリングには、いろんな方がいろんな悩みを抱えてこられます。

 

最近、来られているAさん。

あることに対して怖い、という訴えをされています。

 

先日、Aさんの「怖さ」についてお話をお聴きして、

はじめてわかったことがありました。

 

わたし自身の思い込みや、知らなさから、

Aさんの一言でおっしゃる「怖い」の背景に、

どんな「怖さ」があるのか、危うく見逃すところでした。

 

クライエントさんのことは、

クライエントさん自身に聞いてみないとわからない。

まさしく、それ!

 

カウンセラーは「聴く」を通して、

クライエントさんが自分の声が「聴く」ことができるように、

自分と向き合えるようにサポートする

 

自分自身の心の声と繋がって、

自分がこうしたい、こうしよう...と思った先に、

その方の進む道があるはずだからです。

 

Aさんはご自分の怖さを抱えながら、

その「怖さ」と向き合おう、という意思をお持ちです。

 

Aさんのお話をお聴きしていると、

行きつもどりつしながらも、

Aさんの「自分を生きようとするちから」を感じます。

 

そんなAさんの姿を見せていただいて、

ありがたいなぁ、とそんな気持ちになります。




 

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身体的、精神的、心理的な不調に陥ったとき、

それらの症状を緩和するために、

服薬などの医療的な処置が必要な場合や、助けになることも、確かにあります。

 

ただし、わたしはこんなふうに思います。

 

心や身体に表れること、症状、もっと広げて言えば、

出会う体験すらも、そのひと自身がこの世で向き合う’課題’として、

無意識のうちに、どこかで「それ」を選び、

あるいは「それ」に選ばれて、出会っているのでしょう。

 

 ※ここで1つ、申し添えておきたいのは、

  ひとが出会う体験(筆舌に尽くしがたい辛いものであった場合は、特に)が、

  仮に、そのひとのこの世で向き合う’課題’だとしても、

  それは決して「〈その人が悪いから〉〈その人に罪があるから〉そんな体験をするのだ」

  ということでは、決してありません。

 

自分の’課題’として、取り組むも取り組まないも、

そのひとの意思次第、自由なのです。

 

 

心身一如、という言葉があります。

 

ふだん、自分が「頭」で、

「こうすべき」とか「こうでなければならない」とか

「当然こうしかありえない」と考えていること、思い込んでいること...

 

これらは本当に、

あなた自身にとってあなたが安心して、心地よくいられることでしょうか?

 

頭で判断し、考えていることが、

ときに自分の心に背き、自分の身体に背いていることがあるのです。

 

心の声は、身体に表れます。

「症状」として表れることもあります。

 

心や身体に表れていることや「症状」は、

自分が本当は言いたいことだったりします。

 

心や身体に表れていることを無視したり、ないことにしたり、

むやみに「症状」を消すのではなくて、

それらと向き合う、それらの声に気づく、聴く...

 

そうすると、自分の取り組む’課題’に気付いたり、

自分が本当にしたいことや、自分のありたいあり方に気付いたり、

そんな道筋への入口にもなるのです。

 

今まで、気づかなかったこと、

気づこうとはしなかったことに触れるのは、

怖いことでもあります。

 

勇気ある行為です。

 

同時に、

喜びの存在である、本来の自分自身と出逢うこと

 

でもあります。

 

自分と向き合うとは

そういうことだと、わたしは思っています。

 

 

 




















自分の中に起こりがちな「評価モード」とどう、つきあうか。

 

  どうせ、わたしには才能がない…

  どうやったって、上手くいくはずがない…

  わたしは、ダメ...



こんなふうに、「わたし」に✖をつけてしまうクセ。

 

または

「こうある’べき’理想の形」を最初から描きすぎて、

こんなはずではない!のループにハマってしまう…

 

表現することにおいては、

「自分に対する(特にマイナス)評価モード」が発動すると、

こころも身体も、緊張し、萎縮してしまいます。

 

(すでにある’お手本’を見ながら描くときは、少し違ってくるかもしれませんが)

パステルの絵を描くことで言うと、

 

   ●最初から「完成形」を、頭の中で作り上げない

   なんとなくこんな風に…みたいな、自分の中で感じられる「なんとなく」を大切にします

 

    ●なんとなく自分の中で感じる…自分の「感じ」を丁寧に味わう

 

   特に途中、どんな風に描けばいいか迷ってしまう、あるいは、詰まってしまったら...

   一旦とまってみる(時間を置く)

 

 

   ●紙の向きを変えてみる(視点を変える)

   ↓向きを変えると、なんとなく見える「感じ」が変わりませんか?

 

 

 

 

そして

わたしを無心にして、気づきを促す言葉

(友人Jさんがよくこの問いかけの言葉をかけてくれて、いいなぁと思っているものです)

 

   この絵は今、どうなりたがっている?

 

 

「そんな!絵に問いかけたって、絵が答えてくれるのかなぁ?わからん〜」と言わずに、

1度、試してみてください。

 

特に最後の問いは、

「自分がなんとかしなくちゃ!」という気張りから、自分自身を自由にしてくれる

そんな働きがあるように思います。

 

コツはボンヤリと絵を眺めてみること。

 

また

くるりっと絵の向きを変えることで、

自分の中の感じ方が変わったり、見え方が変わります。

 

あ!次はここをこんなふうに描いてみようかなぁ、なんて

新たなアイディアが生まれてくることもあります。

 

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絵を描くことに限らず、

上に示した「評価モード」とつきあう…というより、

「評価モード」に掴まらないコツ、と言ったほうがいいでしょうか、

 

これは、

普段の自分に起きた体験と、どのようにつきあうか。

そんなコツにも、通じているように思います。

 

わたしが何とかしなくちゃ!」という自我を手放してみる ことで、

逆に物事がスムーズに動くこともあるなぁ、と実感している昨今です。



 向きを変えただけの同じ絵。あなたはそれぞれにどんな感じがしますか?

 








 

 


「パステルという扱いやすい素材があって、楽しく描けるよ」というので、

指で描くやり方、というのを教えてもらい、初めて描いてみたのが、下の絵↓↓です。



 

今から見ると、ずいぶん単純で稚拙な感じですが、

わたしにとっては記念すべき1枚です。

わたしの好きな奈良の「飛火野」をイメージして描きました。

 

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一時「10000時間の法則という言葉が流行ったことがあるようです。


※〈超一流〉に関する心理学者アンダース・エリクソンの理論・研究に基づいて、

    マルコム・グラッドウェルが『天才! 成功する人々の法則』という著書で唱えた。

 「10000時間の法則」に対して、エリクソンの研究対象で設定した条件が、考慮されていない点を、批判的にみる意見もある。

 

漫然と時間を費やして、とにかく時間をかければ、

その道の卓越者になれる、というわけではないでしょうが、

 

ある一定のレベルに達するのに、時間がかかる。

しかも、例えばプロレベルに達する目安として、10000時間ということです…

 

1日3時間、あることに集中して習練を積む

それでも1年365日として約9年です。

 

  石の上にも3年

…という諺があります。

 

どんなに冷たい石の上でも、3年も座っていれば、温まってくる。

耐え忍ぶことの大切さを説いた諺ですね。

 

3年継続して行ったことがどのレベルか、というのは置いておくとしても、

何事かをある形になるところまで持っていくのに、

継続して行うことで、形になる、ということです。

 

逆に3日坊主、という言葉もありますね(笑)

 

  継続は力なり

という諺もあります。

昔のひとは、うまいこと言うなぁ、と思います。

 

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もう1つ、何事かを1つの形にしていくのに、

大切な要素があると、思います。

 

これも諺を借りるなら

 

  好きこそ物の上手なれ

 

他者がなんと言おうと、どんな風にあなたのすることを見ていようと、

あなた自身が「そのこと」を行うのに、

いろんな苦難を乗り越えても、継続していくのに、

 

あなた自身にとって「心地よい」「喜び」となること

あるいは

あなた自身が「したい」こと

 

これらのあなた自身のハートから生まれる気持ち…

これほど、あなたが何事かを為すのに、

強力な源動力となってくれるものはないように思います。


  どうせ、わたしには才能がない…

  どうやったって、上手くいくはずがない…

 

こんなふうに、自分に✖をつけてしまいがちな方は、

 

まずは

今の時点で「上手にできているか、どうか」の’評価のメガネ’を一旦外してください。

あなたが今しようとしていることは、

 

あなた自身にとって「心地よい」「喜び」となること?

あるいは

あなた自身が「したい」こと?

 

これを自分の胸に聴いてみることです。

この答えは、あなたにしかわからないことです。

 

どこかに ’yes!'って、囁く声が聴こえるなら、

まずやってみませんか?



 

最近、描いた1枚です。

ほとんど指を使って描いています。

描き始めのころから思えば、随分と、手慣れてはきました。

 

わたしは専門的に美術学校へ行ったわけではありませんが、

パステルで描くことは好きで、ボツボツとでも続けてきました。

  

まだまだ先は長いですし、

この先どんな風になっていくかは分かりません。

 

それでも

精神的に辛かった時に、描くこと、表現することに、助けられました。

 

始めた頃に比べれば、描き方も少しは上達したし、

なにより自分にとって、豊かな世界が広がりました。

 

次回は、

自分の中の ’評価のメガネ’とのつきあい方。

もう少し、具体的にお伝えします。

  

…to be continued


 

 



パステルを手にして、「描く」ということを覚えてから、

ちょうど7年ほど経ちます。

 

基本15cm四方の紙に描いていきます。

この小さな色の世界を描く中で、

ずいぶん多くのことに気づいてきました。

 

絵を描く、ということのみならず

生活の中でも、自分の視点の持ち方が豊かになったなぁ、

と思えることが、いくつもあります。

 

そのことを、数回に分けて書いてみたいと思います。

 

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パステルに出逢うより以前に、心理学の学びの一環で、

「なぐり描き法」というものを体験していました。

 

※ 「なぐり描き法」は、その時の自分の心の動きのままに、線を殴り描いたり、塗りつぶしたり、

  自分の心のうちを言葉を使わずに、描くことによって発散する方法です

 

なぐり描きには、「上手い下手」という評価は全くありません。

 

評価のないところで「表現する」ということそのものに、

癒しの作用や、ひとを勇気づける作用があるんだなぁ、ということは、

その学びを通じて感じていました。「芸術療法」という方法があるくらいですから。

 

わたしが描いたものや、’パステル和アート’に興味を持たれる方で、

よく言われることが、

 

  わたしもこんな風に絵が描けたらいいなぁ、と思うんですよ

   でも、なぜか「描く」ということに抵抗があるんです

   わたしには描けない、と思います



う〜ん

この「描く」ということに対する抵抗…

これは、どこから生まれるのでしょうか。

 

最大の難関は

「評価を下(くだ)してしてしまうクセ」かなぁ、と思います。




少し話が飛びますが…

  

この2つの丸を見て、どっちの丸が、より気になりますか?

ほとんどの方は、欠けた丸の方が気になったと思います。

 

なぜなら、命の危機を回避するために、

不安定で、欠けている部分を察知する能力は必要であり、

それはヒトの本能に根ざしているものでもあります。

 

このように、人は「足りてない」「欠けている」と思うところに

注目してしまうクセがあるのです。

 

しかもこの「足りてない」「欠けている」と思うことは、

あまり落ち着けることではありません。

違和感を感じ、居心地が悪いし、時には、

不安や怖れの感情を呼び起こすものなのです。

 

誰でも、自分がやったことのないこと、

スキル的にも未熟なことをやろうとするときは、

上手くいかなくて当たり前、居心地悪くて、怖くて当たり前なのです。

 

ただし

「上手くいかないところ」に意識が行き過ぎ、

違和感、居心地の悪さ、怖れ、不安を感じることを回避する方法として、

いろんな言い訳や、評価を下すというクセが発動するようです。

 

  どうせ、わたしには才能がない…

   どうやったって、上手くいくはずがない…

 

または

「こうある’べき’理想の形」を最初から描きすぎて、

こんなはずではない!のループにハマってしまう…

 

自分で作り出した’べき’形に自縛されて、

逆に固まってしまい、とても窮屈です。



絶対ある’べき’は、完全なマルである。

完全なマルが「良し」!

 欠けたマルは「ダメ」!

 

 

表現することにおいては、

「自分に対する(特にマイナス)評価モード」が発動すると、

こころも身体も、緊張し、萎縮してしまいます。

 

じゃ、この「評価モード」とつきあうためには、

どうしたらいいのでしょう?

 

それはまた、続きに書きますね。

to be continued...





















(↑ 海陽町・大原の海岸での朝日)

 

 

この週末、ご縁があって徳島県海陽町(旧海部町)を訪ねてきました。

 

この地で林業を営むMさんのお宅にお邪魔して、

木にまつわるお話を聞かせていただいたり、

Mさんおすすめの海陽町の地をご案内いただきました。

 



山でのお仕事の話、木の話は、

現在の日本の経済の在り方や、人の在り方を問うところもあって、

とても頷けることでした。

 

Mさんは「杉」の木を専門に、長年育ててこられました。

海陽町付近で育つ「杉」は、

弾力性に富み、なによりも木の成分のおかげで、

シロアリにヤられないのだそうです。

この木で建てられた家は百人力だなぁ、と思いましたよ。

 

木がひとの生活に役立つほどに育つには、

何十年とかかります。

Mさんの日常生活での時間感覚は、長い...



そのMさんが繰り返し、繰り返し言われていたのは、

 

 五感を使う

 静かに一時(ひととき)立ち止まる時間を持つ

 

この大切さを説いておられました。

 

 どこかね、知らない土地に出かけても

 「きれいだね〜」って言いながら、さっさと通り過ぎるんではなくて、

 せめて30分なりとね、そこに腰を下ろして、

 静かにその地を、その時間を、味わうことだね...

 

 現代は、あまりに情報が多すぎる。

 なにが大切なことなのかが、皆わからなくなっている。

 周りの情報に、あまりに振り回されすぎ。

 

 自分の五感を使うことだね。

 食べること一つにしても、よく味うこと。

 


(↑「轟(とどろき)の滝」)



おっしゃっていることは、とってもシンプルなんです。

このシンプルなことは、誰にでもできる(自分でそうしようと思えば)こと。

 

これこそ

今の時代に、健康に生きるための、基本中の基本のことなのかな、

とわたしは思ったことでした。

 

Mさんにお話を伺う中で、こんな本をご紹介いただきました。

海部の町について書かれた本なんです。

 

実は今回こちらにお邪魔するまで、この地がこんな土地だとは、

わたしは知りませんでした。

 

日本の中で、自殺者数が一番少ない町なのだそうです!




「生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある」

 

 

この本の中で紹介されている「自殺率の低さの理由(わけ)」とは?

 

1.「他人がやってるから、私もやる」はやらない

2.よそ者歓迎!いろんな人がいてもいい

3.学歴、会社の看板よりも人物を見る

4.悩みごとを人に話す事は恥ずかしい事でない

5.ゆるく繋がる関係がいい

6.「どうせ自分なんて」と考えない



…続きは、こちら








「謙譲の美徳」というのは、日本人の文化に馴染む在り方ですね。

 

ときには、そのような在り方は控えめで、自分を抑えて他者と争わない...

それが物事によい形で表れることもあるかもしれません。

 

そのような在り方にあるひとが、

心から「与える」という立場に立っているときは...です。

 

多くの日本人は、他者からの自分への褒め言葉に対して、

素直に「ありがとう」と受け取ることの、苦手なひとが多いのではないか、

というのがわたしの印象です。かってのわたしもそうでした(苦笑)

 

今のわたしは、こう考えます。

他者がわたしを褒めてくれたら、

素直に「ありがとう」って受け取っていいのではないのかな、って。

 

人に褒められると、「いえいえ、わたし『なんか』...」って、

「謙譲の美徳」に走るひとがいるんです。

 

そして、そういう傾向にあるひとは、

わたし『なんか』っておっしゃる傾向があるみたいです。

 

どうして、「わたし」にさらに『なんか』がつくのかなぁ...?

「わたし『なんか』」って、とりあえずそう言うと、

他者から、自分が突っ込まれない...

自分が守られた感じがするのでしょうか それもあるかもしれません。

 

この『なんか』を「わたし」に付けることで、

「わたし」を不必要に『値引き』してるんですよねぇ...

 

「わたし」は、わたし「以上」でも、わたし「以下」でもないはず。

「わたしはわたし」なんです。

 

「あなた」は、あなた「以上」でも、あなた「以下」でもないはず。

「あなたはあなた」なんです。

 

『なんか』の次に続くのは、

『どうせ』という’自分責め’にも似た「スネ」モードなんですね。

「わたし『なんか』...どうせ...」なんです。

これを自分に対する「値引き」と言います。

 

ねぇ...!?

わざわざ、自分から「値引き」しなくたっていい、

そう思いませんか

 

もし

このわたしを高く買ってくれるひとがいたのなら、万々歳!

ありがたいことです

あなたを高く買ってくれるひとと大いに交わって、

自分の可能性を広げましょ!

 

もし

「わたし」に『なんか』を付け加えて言うことが、自分の癖だな、って気づいた人

どうぞ『なんか』を付け加えるのはやめて、シンプルにいきましょ!

「わたしは○○だ」という口癖に変えてみましょう。

 



あなたの口癖が、あなたの生き方に及ぼしている影響は大きいのです。


























 

1週間ほど前にみた、美しい夕暮れの雲。

すぅ〜っと立ち上がるこの感じを、なにか言葉に表すとすると、

どんな表現ができるのかなぁ...

 

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最近ご縁があって、月1回【はじめての俳句講座】というものに参加しています。

17文字の世界にこめられた深い世界が、俳句の世界と言えそう。

 

最近は、テレビでも俳句がネタのバラエティ番組もあるのですね。

俳句はブームなのかしら?

 

俳句の世界をあらためて、講座で教えていただいて、

これは心身の健康法にも通じるんじゃないかしら、と思うようになりました。

 

わたしが考えたその理由とは…

 

 ○季節のめぐりを意識するようになる

  (意識が外に向く)

 

 ○感じるアンテナが働くようになる

  (感性を磨く)

 

 ○四季のある日本は、本当に言葉の宝庫

  季語や俳句を知ることで、「言葉の引き出し」が増える

  (表現力アップに繋がる)

 

 ○日常生活の自分の体験や、自分が感じていることを

  俳句にすることを意識するようになる

  (自分自身への観察力がアップする)

 

 ○自分が感じていることを、ピタッと言葉にできたときの解放感が味わえる

  (カタルシス効果)

 

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講座では、俳句を作ったことのない参加者さんたちにも、

講師の先生がアドバイスをくださって、

その人が表現したいことを、うまく17文字に収まるように色々とご指導くださいます。

 

俳句の世界には、俳句の世界ならではのルールというものがありますから、

不慣れな者には、俳句を作る上で上達していくには、

とにかく俳句を作ってみる、ということなのでしょう。

 

俳句には「季語」が欠かせませんが、

こんな季語があるんだ、ということを知るだけでも、

季語を通して、季節を味わい楽しむ

わたしには最近、そんな楽しみが増えました。

 

また

17文字しか使えないという制約があるからこそ、

自分が感じていることにピタッと合う言葉を探す…

これがまた、言葉の宝探しみたいで面白いのです。

 

そしてなによりも、

目に映る景色、自分が日常生活で体験するちょっとしたことが

俳句のネタにならないかなぁ…と思うと、

ちょっとした小さな楽しみでもあります。

 

俳句は詠むひとが表す世界があって、

その俳句を読むひとの世界もある。

その世界をどう感じて、どう解釈するか、

解釈がたくさん生まれるほどその俳句は素晴らしいもの、

とは講師の先生のお話でした。

 

講座では、紹介された俳句で、

自分が気に入った俳句がどのように気に入っているのか

参加者のみなさんと分かち合う時間もあって、それがまた楽しい。

 

1人ひとりの方が、どんな風に1つの俳句を感じられて、

どのようにその俳句の世界を体験されているのか、そのお話を伺うと、

きっとその感じ方や味わい方にこそ、

その方がこれまで生きてこられた背景や、個性があるからこそなんだなぁ、

と、思うのです。

 

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俳句を作ろうとする作業は、まるで、

自分の体験することや、感じていることに、「言葉」という絵の具で色をつけている…

そんな作業にも、わたしには思われます。

 

さてさて

先日見た、春の夕暮れの雲の風景に、どんな「言葉」で色をつけようかなぁ…

思案中です。

 

絵(俳句)が描けたら、また発表しますね〜♡










 

  





 

 

今日は、CAP(子ども暴力防止)プログラムを保育園の子どもたちに届ける3日目でした。

 

CAP活動を通しての子どもたちとの関わりは一過性のもので、

保育園の先生のように、ずっと同じ子どもたちと関わり続けることはないのですが、

各日ワークショップの時間の最後に、子どもたちとお話をする「トークタイム」という時間があって、

そのときに、子どもたちの色んな話を聴くことがあります。

 

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Aくんは、こんな話をしてくれました。

 

今日よりもっと前の去年のこと、園の運動会でリレーをしたけれど、

自分がレーンの線をはみ出してしまって、はみ出した位置に戻って走り直しになったせいで、

自分のチームのみんなに迷惑をかけた、自分のチームは負けてしまった、そのことが気になっている…

 

そんなお話でした。

 

大人が聞けば、

「そんな前の話をまだ引きずっているの?」

とか

「それはたかだか、保育園の《リレー》というゲームの中の話じゃないか」

とか

そんな風に片付けてしまいがちかもしれませんね。

 

Aくんにとっては、その小さな胸に、いろんな色あいの感情や気持ちを感じて、結果的には

「間違ってしまった、上手くやれなかった(レーンの線を踏んでしまって、やり直しになった)自分」を責めている、

そんな感じでした。

 

わたしはAくんの話を聴きながら、

「自分のせいで、チームのみんなに迷惑をかけた」と

幼いながらにいまだに、自分を責めるようなAくんの想いを思うと、

なんだか、Aくんを抱きしめてあげたい気持ちに駆られたのでした。

 

自分が線を踏んでやり直し、ということにならなければ、

チームが負けちゃうことはなかったかもしれない、って思うと、悔しかったんだよね。

そのときは、AくんはAくんの精一杯で頑張ったんだよね。

ズルをしたり、わざと線を踏もうと思って踏んだのではない。

みんなと一緒に勝ちたくて、頑張って走ってたんだよね…

 

って。

 

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大人のわたしたちも、Aくんのように

自分のしたことがどうしても認められない、

今のこの状況がいやだ、今の自分がいやだ…後悔、自責の念などの苦しさでグルグルすることもあります。


どうかそんなときに、できれば…

ほんの少し、そんな自分に「優しいまなざし」をむけてあげてほしいのです。

ほかでもない、自分自身に。

 

「いやいや、そんな優しさを自分に向けてはいけない?そんなのは、自分を甘やかすことだ」…

そう思われるあなたへ…

 

自分を叱咤激励したり、自分を省みて、

「ここはこんな風に上手くいかなかったから、次はこうすればいいなぁ」

とか

「次にむけて、こんな風にやってみよう!」

とか

客観的に起こった状況を見直してみて、気持ち的にも前向きに考えられるのなら、

それはそれで、OKなのです。

 

ですが、もしただただ起こったことを悔やむだけ

自分責めモードのサイクルから出られない、もしそうなら。

 

案外、自分自身に「優しいまなざし」を注ぐことは、

自分責めモードのサイクルから抜け出るのに、役立ちます。

 

   上手くいく時、いかない時いろいろあるけれど、

    わたし(あなた)はわたし(あなた)なりの最善を尽くしてきました

   今は今で、上手くいく時、いかない時いろいろあるけれど、

    わたし(あなた)はわたし(あなた)なりの最善を尽くしています

   そんな風に生きているわたしに、お疲れさま

   疲れているなら、よくやすんで、また進んでいこうね…

 

こんな風に、自分に声がけできるとするなら、

これは思いもよらず、自分の中に静かなパワーが漲ってきますよ。

 

もし自分だけではできない、というあなたは、

あなたがとても信頼できるひとに、心をこめて次の言葉をかけてくださいと、

お願いしてみてください。


   上手くいく時、いかない時いろいろあるけれど、
    あなたはあなたなりの最善を尽くしてきました

   今は今で、上手くいく時、いかない時いろいろあるけれど、

    あなたはあなたなりの最善を尽くしています

   うん、そんな風に生きているあなたに、お疲れさま

   疲れているなら、よくやすんで、また進んでいこうね…

 
ためしにやってみて、これらの言葉を自分の胸のうちに響かせたときに、

自分の身体の中に、こころの中に、どんな感じが起こるのか、味わってみてください。

 

コツは、心をこめて「本気」で、あなたに言葉をかける

そのことを行うことです。

 

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本気でやってみたけれど、

やっぱり自分に優しいまなざしなんて、今は向けられないよ… という、あなた。

きっと「今は」なのでしょうね。

 

どんなひともその人の、その時の精一杯を生きているのだ

その人の、大切な、その人でしかありえないその人生…

 

わたしはそう、信じています。




















 

 

 


 

今日は、CAP(子ども暴力防止)プログラムを保育園の子どもたちに届ける2日目でした。

 

昨日、CAPプログラムで伝えられている3つの「安心・自信・自由の権利」…

特に「自由に生きる権利(「自由」は本当にしたいことを自分で選べたときの気持ち)」について、

少しわたしが思うことについて述べさせてもらいました。

 

「権利」というと、なんとはなしに「義務」や「責任」という言葉がセットになってくること、

でもここでお話している「権利」は「義務」はないということ、についてもお話しました。

 

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今日はCAPのお話ではなくて、「責任」という言葉を中心に、

自分の人生を、自分の手にする感覚について、お話してみたいと思います。

 

みなさんは「責任」という言葉を聴くと、どんなイメージを持たれますか。

なにか責めを負う、詰め腹を切らされる、みたいな感じを持ちませんか?

少なくとも、わたしはそうでした。

 

ところで、責任という言葉ですが、英語ではresponsibility

つまり、ちょっと乱暴に言葉を分解すると、response(応答する)+ ability(能力)となります。

※いわゆる「何か起こったことにたいする責任を取る」という意味の英語は、accountabilityという言葉があてはまるようです。

 

この「責任」という言葉について、改めて英語を見てみたときに、「あ!」と気づきました。

決して、責めを負うという意味合いではなくて、○○に対して応答する「能力」なのです。



さて

「自分の人生を、自分の手にする感覚」についてですが、次の文を口に出していってみて下さい。

 

(A)  ・わたしは、そのパーティに行けません

   ・わたしは「△△(あなたご自身の、現在気にしている何かでもいいです)」に関わることができない

    

(B)  ・わたしは、そのパーティに行きません。

   ・わたしは「△△(あなたご自身の、現在気にしている何かでもいいです)」に関わりたくない(あるいは関わらない)

 

 

どうですか。

単に語尾の違いじゃないか、って思われる人もいるかもしれません。

 

言葉に出して言ってみて、みなさんの身体の中に起こる感覚…なにか違いはありますか?

もし、AとBでなにか感覚的に違う、って感じられるものがあるとすれば、それはどんなものでしょう?

 

 

Aパターンは「○○できる、できない」(can、cannot)という表現です。

Bパターンは「○○する、したくない、○○しない」(will、will not)という表現です。

 

実は、Bパターンで表現しているときは、

関わっていることに対して、ひとは「(自己)責任を取っている」のです。

関わっていることに対して、自分の「応答する能力」を発揮している状態です。

 

関わるか、関わらないか、そこにあなた自身の「意志(will)」があります。

そしてそれこそが、あなたの人生の舵を、あなたが取っていることになるのです。

 

みなさんにとっては、どちらの表現がより「自分の人生を、自分の手にする感覚」に近いでしょうか?
わたしにとっては、Bです。

 

A「できる、できない」パターンで言う言い方は悪くて、

B「したい(する)、したくない(しない)」パターンは良い、という話ではありません。

ときには、Aパターンでしかいられない…みたいな状態のときもあります。

 

Aパターンの表現が口癖だったり、「○○できない…」で落ち込んでしまっているとき、

一度、「○○しない」「○○したくない」のBパターンで言い換えてみてはどうでしょう?

少し、あなたの身体に起きる感覚が変わって、なにかが変わるかもしれませんよ。

 

ただし

Aパターンで居たいか、Bパターンで居たいか、これすらもあなたが選ぶことができます。

 

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CAPプログラムで伝えている「自由に生きる権利」があるときは、

「本当にしたいことを自分で選べたとき」だと伝えていますが、本当にそうなのだなぁ、と思うのです。

 

つまり、Bパターンで表現できる状態にある、ということです。

とても喜びに満ちて、こころも身体もパワーがある状態です。

 

願わくば、世界中の子どもも大人も、

「自由に生きる権利」が守られて、健やかであることを心から願っています。

































(↑CAPセンターJAPAN 2007年発行 「CAP イラスト&コミック版 サクセスストーリー」より)

 

今日は、CAP(子ども暴力防止)プログラムを保育園の子どもたちに届ける1日目でした。

CAPプログラムでは、「ひとにはみんな生きるためにどうしても必要な3つの《権利》があるんだよ」

それは...

 

  安心して生きる権利 (「安心」は、いやなことや心配なことが何もないときの気持ち)

  を持って生きる権利 (「自信」は、今までできなかったことができたときの気持ち。心や身体が強くなったような気持ち)

  自由に生きる権利 (「自由」は、本当にしたいことを自分で選べたときの気持ち)

 

この3つの権利は「どんな人でも持っているんだよ」と、

どんな幼い子どもたちにもわかる言葉で伝えていきます。

 

ところで。

小学校や幼稚園、保育園でCAPプログラムを伝えていく中で、

ときおり「おっ???」と思うことがあります。

「みんな、どんな時に、あ〜自由だなぁ!って思う?感じる?」って聞いたときに、

すごく反応が薄いときがあります。

 

過去の小学校の子どもたちとの時間では、

「そんな時間な〜い。だって、習い事や塾で忙しいもん!自由な時間なんかな〜い!」

と、答えが返ってきたこともあります。

(最近では幼稚園や保育園に通う子どもたちも、「忙しい」のかもしれないなぁ…)

 

今日も、なんだか反応が薄かったです…

「みんな、どんなときに、自由?」って聞いても、「し〜ん」としていて。

 

なんだろうなぁ?時代の流れかしらん?

わたしはとてもそういう風潮?に危機感を感じるのですね。

 

大人セミナーなどで、CAPプログラムについてお話をするときに、

ときおり、こんな質問を受けることがあります。

 

「子どもに《自由に生きる権利ある》などと教えたら、なんでも好き勝手にやってしまって、

《責任》感もなく《義務》を果たさない好き勝手する子どもになりませんか」と。

 

多分「権利」という概念自体、日本人にとっては明治以降、海外から輸入されたものだったでしょうし、

「権利」というと思い起こされやすいのは、「責任」「義務」という言葉のセットです。

 

しかし、CAPプログラムで言う「全てのひとが生きるためにどうしても必要な《権利》」

というときの「権利」には、「義務」はないのです。

 

そして多分日本人が「責任」という言葉を聞いたときに思い起こすようなニュアンスの

「責任」もありません。

 

日本人にとって「責任」をとる、という表現の裏に感じるニュアンスは、

まるで詰め腹を切らされるような、少し追い詰められた重いものを感じないでしょうか?

 

(少なくとも、わたしもあることに気づくまでそうでした…

そのことについては【自分の人生を、自分の手にする感覚 (2)】でお伝えしたいと思います)

 

そして、この記事で強調してお伝えしたいことの1つは、

 

自由に生きる権利がある」という実感のもとに感じる気持ちは、

「本当にしたいことを、自分で選べた」ときに生まれるものなのです。

しかも、そこには大きな「喜び」の気持ちが伴います。

 

他者(親や、子どもより力を持ちやすい者)から、コントロールされることなく、

「わたしが、僕が○○したい、○○しよう」という選択のもとに、行動したことに対しては、

その結果に対して「自分で責任をとる力」を徐々に育んでいくはずです。

 

「みんな、どんなときに、自由?」って聞いても、「し〜ん」としていると、

「自分で選びとるちからが自分にあるんだ」ということを知ったり、喜びに感じる体験がないのかなぁ、

と心配になります。

 

その「自分には、自分の選択で生きるちからがある」ということを味わう体験を奪っているのは、

もしかしたら、子どもをコントロールしたい大人?

 

誤解のないように、重ねてお伝えしたいのは、

「自分が本当にしたいことを、自分で選ぶ」自由は、他者のどんな迷惑も考えずに、

他者の「自由の権利」を奪って、自分の好き勝手にする…ということとは、別物です。

 

自分の人生を、自分の手にする感覚…

これは「《わたし》が選ぶ」この体験が大切、わたしはそう考えます。

 

 

【自分の人生を、自分の手にする感覚 (2)】へ続く…


















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